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世の中は刻々と変化していっているわけで。 まさにそれこそ秒刻みで変化している。 しかし人間は、その変化に対応できていないのではないか。 同じ時代に生きて、同じ流れの中に生きたとしても ある程度年をとった人間は、若い世代についていけない。 同じものを学習したとしても、まったくその成果に差が出てしまう。 しかしそれは、一部の人間にすぎない。 例え年をとろうとも、どんどん情報を吸収し自らの物としている人々もいる。 そもそも、若い世代の流行など、若い彼らが作り出しているわけではない。 大抵が30代から40代のおっさん達によって作り出されているのだ。 昔、自分の親にこんな事を言われていた記憶はないだろうか。 「いっぱい勉強して、いい大学はいって、いい会社に就職できれば人生安泰」 その辺の一般家庭でよく聞きそうな言葉である。 その親の世代はそのようなルートを通ることが、最もベストとされてきたようだ。 しかし、今現在そんな道理はまかり通らない。 そのルートを歩んだとしても、結果は労働者にしかならない。 いくら頑張って働いても、人に使われるだけの人生である。 人の上に立つもの、人を使うというもの、 経営者というもののルートは、まったく違う場所にあるのだ。 と、いう件の話を弟より受ける。 曰く、「日本はもう駄目だ、これ以上この国に固執する意味合いはない とっとと海外にでも移住した方がいい、でないと自分が苦労をする」 確かに日本で老後を豊かに暮らすのは難しい気もする。 ある程度の財産を持って、物価の安い国に転がり込み そこで悠々自適な暮らしをする方が、遥かに幸福な老後にも思える。 先日テレビで、バリに移住した人たちのことをやっていたのだが、 実に物価は安いし、環境も綺麗で、日本人も多いから言葉にも苦労しなさそうだし それこそ日本に固執する意味合いがないというのも頷ける。 しかし、日本人は農耕民族であり、どうしても土地に根付いてしまう。 なんだかんだ言って、結局日本を脱出できる人は少ない。 さらに曰く「働かされることに疑問を持たなかったり、 むしろ働くことに喜びを感じてりでは、いつまでたっても金を得られない」 働くことに美学を感じているのは、高度経済成長期時代の名残に過ぎないそうで、 現在の世の中には、さほど必要とされていないということらしい。 今は社会も会社も、人間一人の保障に手を回していられない。 愛社精神など愚の骨頂ということだそうな。 確かに自分自身の人生を、他人が作ったものに捧げるて、 結果として、たいして報われないというのも馬鹿馬鹿しい。 じゃあどうすればいいのかというと、世の中には色んなところに色んな材料があるのだから それを活用していけば、別段小遣いに困ることはないとのこと。 彼は今学生なのだが、ネットによるオークションをもちいて、 月に40万弱の金を稼いだ経験がある。 安く仕入れて高く売る、基本だろうと彼は言う。 物に拘りなんて持つから、いつまでたっても金にならないのだそうな。 私の趣味を見てはいつもそんな事を言っている。 結局彼はそんなわけで、バイトをするのはあまりに馬鹿馬鹿く思え、 一切それを行っていない。 わざわざしんどい思いなどして、僅かしか小銭を稼げないのに 皆よくやっていると笑っていた。 それはそれで経験不足ということになるのではないかとも思えたが、 考えたら、その経験とは、自分が働く為の経験である。 自分が働くのではなく、物事を働かせるという彼のやり方には、 不必要であると言い切っても、確かに差支えがないようにも感じる。 そういえば、父もマンションを購入するも、自分が住むわけではなく 他者に貸すことによって、家賃を購入費に当てている。 いざ自分が住もうかと思うときには、 家賃にて購入費用はほとんどかかっていない計算になるのだそうな。 弟に言わせれば、まだまだ甘いのだろうが、私は良く出来ているなあと感心した。 残念ながら私には、このようなビジネスの才能というものが乏しいようだ。 私に出来ることといえば、こんな駄文の形成くらい。 頑張れ、私。
by unnyo8739
| 2004-09-02 10:42
| 日誌叙情駄文
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