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春を通り越して一気に夏が来たように暑い。 そんな中でも娘はすくすくと成長を重ねている。 親の気持ち子知らず、と言う言葉がある。 子は子で自分の気持ちや感情を先行させるから、その背景にある親の心情をうまく理解する事が出来ない、みたいなそんな感じの話。 私も少年であった頃は親の心配をよそに、ひたすら遊びに遊びまくるという怠惰な生活を送っていた。 そのツケが今になって回ってきて、実にろくでもない大人になってしまいどうしようもない気分になったりしていたりするのだが。 今回自分の娘には同じ失敗、過ちを繰り返して欲しくないと強烈に思うわけで。 これはきっと間違いなく私の父母も同じ事を考えていたに違いないわけで、しかし子供はそんな親の心配をよそに、好き勝手に生きてしまう生き物である事は否定する事が出来ず、きっと娘は娘で自分の思うがままに生きていこうとするに違いない。 しかし、人間は学習する生き物だ。 自分の失敗を娘に歩んで欲しくないからと一方的に色々と押しつけるからこそきっと子供は反発し、結果的にあまり良くない方向に進んでいってしまうに違いない。 その辺の事を十分に親が理解した上で、子供と同じ目線に立ち、自分の失敗を語ったり、こんな時にどうするべきか的思考を身につけさせていけば、もしかしたら同じ過ちを回避する事が出来るのかもしれない。 人類はきっとその様にして進歩と進化を続けていたのだと私は考える。 まあでも。 実際子供の自我の成長に重大に関わってくるのは同い年の子供との付き合い、すなわち友人関係であると思われる。 親がどのような教育をしたとしても、子供は子供同士の関係に染まっていく事は恐らく間違いない。 だからといって「あのこと遊んじゃいけません」的な事を言うのも人として間違っている事は明白。 どのようにして正しい友人関係を築かせていくかが課題になるように思う。 あまりに優しい子になれば、きっとそれは気の弱さというマイナス面が出てくるだろうし、逆に気の強い子になれば身勝手な子になってしまったりするかもしれない。 別に気の強い子が身勝手であるという認識ではないのだけれど、あくまで一つの例えとして出してみた。 兎に角、プラスマイナスどちらかに傾きすぎる性格になる事は、得てしてあまり良い結果をもたらさないだろうと私は考えている。 何事も中道である事が大事なのだ。 しかし中道における最も恐るべき事は、「達観してしまう事」にあると思われる。 世間や世界の広さを知らぬうちに、分かってしまった感覚を持ってしまう事は実に危険だ。 人を見下す子になってしまいかねない。 あるいは常に人を見上げるばかりで自分自身を追い込んでしまう可能性もある。 「自分は自分・他人は他人」という思考を正しい形で教え込まなければならないと思う。 関係ないけれど、私がそうであるからと娘も同じようになって欲しい事として、信心深い人間になって欲しいなとはちょっとだけ思う。 私は自分で言うのも実におこがましいが、割と信心深い人間である。 と言っても宗教じみた信心ではなく、ただ死者に手を合わせ、自分の先祖を敬うと言う、そんな信心である。 宗教はキリスト教でも仏教でも何でも良い。狂信者にさえならなければ。 私の遺伝子が半分組み込まれている事から、まるで自分の分身であるかのように彼女を見ているけれども、彼女には嫁の遺伝子も半分組み込まれているわけで。 もし嫁の遺伝子が美味い具合に発現してくれれば、娘はかなり頭のよい子になる可能性もある。 学業的な問題で。 性格的な問題じゃなくて。 改めて私のような学のない人間が、嫁のように頭の良い人間と一緒になった事を驚愕するが、元々私は頭の良い人が好みの女性であったがために、それはそれでたまたま物事が上手くいったと考えて納得するべきだろう。 まあ。 その辺はぶっちゃけ全部どうでもいいのだ。 色々と考える事はあるけれども、その都度対応していく事が大事であり、皮算用に浸る事はあまり良い事ではない。 そんな事より今一番重要な事は。 何だこの夏日。 暑すぎて死ねる。 社内の空調はまだ微妙に暖房的感じであり、私は非常に汗まみれだ。 何でこんなに汗っかきになったんだろう自分。 あまり汗をかかない体質だったのに。 これが老化という奴なのだろうか。 兎に角暑すぎる。 暑すぎて自分が何を言っているのか全く分からない。 何が言いたいかも良く分からない。 兎に角暑いと言うことくらいしか私に言える事はない。 くそ、暑いよー。 マジで暑いよー。 アイス食いたいよー。 死ぬ死ぬマジで死ぬ。
by unnyo8739
| 2009-04-13 16:35
| 娘観察日記。
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