|
この世界を僅か一言で自分のモノにする事は簡単だが、この世界を自在に操ろうと言う事は実に難しい。 そこにこそ世界の価値は存在するのだけれども、時折訪れる世界からの試練に、人はどうしようもなく立ち上がる気力を失ってしまう事がある。 けれど世界とは決して狭く険しい道のみを示すのではない。 世界を広く持てば持つほどに、絶望に陥った自分を救ってくれる存在は存在している物なのだ。 ちなみにここで言う世界とは何か。 それは自分自身の目に映る全てである。 世界は自由に動かせないが、この世の誰もが世界を自由に動く事を許されている。 人は常に我が道を進んで良いのだ。 今、私の嫁は自らの道に試練を見た。 それは誰もが通る道であるかもしれないし、どうして自分だけがこの様な目に遭わなければならないと疑問に思ってしまう事であるかもしれない。 あるいは、自らが進むためにどうしても必要となる道であるのかもしれない。 避けて通る事は簡単にできるかもしれないが、その道を選んだ限り、その取捨選択はもう彼女自身の意思に一任されている。 具体的に言うと、それは初めて手に取った我が子についてである。 母親というのは、子供が出来た瞬間から母親だ。 生まれる前から母親なのだ。 それが故に彼女は今思い悩んでいる。 私がこの場で自分の嫁を良く評価するというのは実に身内贔屓的な事柄であるかもしれないが、敢えて私は言葉にする事にしよう。 彼女は良くできた人間だ。 良くできた人間であるからこそ、この課題は深く重い。 更に具体的に今起こっている事を挙げよう。 赤子は哺乳瓶からのミルクは簡単に飲んでくれるのだけれども、どうしても乳を吸うのにむずがってしまうのだ。 ならばミルクを与えれば良いではないかという問題ではない。 母親の本能は、どうしても我が子に自分の乳を与えたいと訴えるのだ。 けれども、それが今なかなか思うようにうまくいっていない。 それは単純に子供の性格性質の問題なのかもしれないけれど、彼女にとってはそれがまるで自分自身を否定されているかのように感じてしまうのだという。 こんな事をこの場に挙げて何が解決する事もなく、どうすればいいかなどの答えを求めるわけでもない。 本来ならこんなところに挙げるべき問題ではないかもしれない。 ここは私のブログであり、私が思うように扱う事の出来る場所であるが、やはり書くべき内容は吟味されるべきである。 さておき。 私は彼女に対して頑張れとは言わなかった。 それはとても無責任な言葉であると感じたからだ。 頭の中で沢山の言葉が渦巻いた。 けれど、実際に口から出てくるのはどうしようもなく頼りないモノばかり。 彼女自身に早急なケアが求められているというのに、何と言葉をかけて良いのか分からないのだ。 男とは得てして、常に肝心なときに肝心な言葉を吐き出す事が出来ない生物であると知る。 泣きはらした彼女の頭を撫でた。 すると彼女は再び泣いた。 私は黙っていた。 私には彼女の感じている不安をどうやって取り除いてやればいいのか分からない。 理屈はいくつでも浮かんでくる。 こうすればいい、ああすればいいと。 けれどもそれらの理屈は、目の前にある現実において何ら役に立たない事を私は知っているのだ。 知っているからこそ言葉が出ないのだ。 どうすればいいんだろう。 悩む私と嫁をよそにして赤子は何事もなかったかのように眠っていた。 当然だ。 赤子は何も分からない。 もしこのブログがこの先何年も存在して、赤子が大人になったときにこれを読んだりしたら、果たして彼女はどのような顔をするのだろうか。 そんな事よりつまり今回の話を具体的に言うと「おまいらも励ませ」と言う事だ。
by unnyo8739
| 2009-02-06 13:21
| 日誌叙情駄文
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||