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男親というモノが親バカになるのは、ある程度子供に物心がついてからであると思う。 それは何故か。 私は娘の身体をこの身に抱き、その重みを確かに感じたのだけれども、未だに自らが親になったという実感が湧いてこない。 嫁は既に母となったと言うのに。 実感とかそれ以前に、既に母として成り立っているのに。 男親というモノは、全くその精神形態やら何やらから女親とは別の存在なのであるなと改めて実感する。 高揚感も幸福感もいまいち実感する事が出来ない。 それは偏に私自身にも問題のある事なのかもしれないが、実際問題事実なのだから仕方がない。 初めから「もう物凄く子供欲しい、子供生みたい作りたい」的な男親であるのならば、娘の体重を感じた矢先に感涙失神失禁に至ってしまうのではないかと思うが、男というのは得てして大体が無責任に出来ている。 この際だから断言してやろう。 子供が出来たと嫁から報じられたとき、男の8割が「え、嘘だろ? マジかよ……」と戸惑うであろう。 男というのは常にして、少年である自分を捨てられない生き物なのである。 そんな生き物に対して唐突に「大人でなくてはならない」と勧告された際、大抵の輩が戸惑うのだ。 そんな中で友人らにこの一件を報告した際に返ってきたメールを見てみると、「これから親バカ大変ですね」などと言うものがあったりしたわけだが、実際の所はそれほどでもないというのが正しいと言わざるを得ない。 そう言えば。 その返ってきたメールを見てみると、「写メよこせ」と言うのが何件かあったりした訳なのだが。 正直これはどうなのか。 いや、個人的な感想なんだけれども。 他人の所の生まれたてのどれ見ても同じような顔をした赤子の写メを、どうしてそこまで見たいのだろうか。 本当に生まれたのかと疑問に思っていたりするのだろうか。 その為の証明写真的なモノとして求めてきているのだろうか。 とりあえず私はそんなメールをしてきた数人に「生まれたての赤子などどれも同じ顔だ」と返信をしておいたのだが、これは私の認識が何か間違っているのだろうか。 私は私の感じる事実と思考以外に対して、非常に感覚が薄いのだろうかと不安にならざるを得ない。 そんなこんなで。 とりあえず今日、赤子ベッドを組み立ててみた。 思ったより小さいと感じるか、大きいと感じるかは全くまだ分からない。 ともあれ一つだけ確実に言える事は、組み立て方の取説がしばらく見つからず、どうやって組めばいいモノかと15分くらい真剣に考えたという事実があるのみである。 一応取説は見つかったのだが、その後ドライバーがないというアクシデントに見舞われつつも、何とか一応の形を創り上げる事は出来たのだが。 赤子布団用のシーツって、掛け布団と敷き布団のどっちに使えば良いんだ? 両方分あるのならどっちがどっちかと悩むだけに終わるのだが、一枚しかない為どっちに使って良いのか分からないぞ。 こんな所でこんな変な手間をかけている場合じゃないのに、どうしてこんな風に手間というのは列挙してやってくるモノなのだろうか。
by unnyo8739
| 2009-01-26 17:44
| 娘観察日記。
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Comments(2)
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