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ここ最近の嫁はすっかり「母親」的な心情になりつつあるようだ。 そりゃ自分の腹の中に自分のDNAを分けた別途生命体が存在しているわけである。 エイリアンに卵を産み付けられた人間が母親的心理を抱いたとしたら、それはそれで何か違う。 でもリプリーさんはそんな風な心情になる描写があったようななかったような。 エイリアンもとんと見てないしなあ。 対して、男の方は実際に生まれてみなければ「親としての実感」というモノを掴めないわけで。 そもそも生まれてくるという事に対してよりも、生まれてきたと言う事に関して動き出すようにDNAにより仕込まれているのだからしょうがない。多分。 「生む」という事は確かに神聖な行為であるが、それを受け入れる土壌を作るように努めるというのもまた不可欠重大な事柄なのである。 社会というモノが得てしてそのように仕向けているのだ。 いや、まあ、順調に育ちつつある新しい命に対しての反応が薄いというのは確かに腹に抱えている彼女からすれば、何とも非難の気持ちがわき出てしまうのかもしれないが。 しかし実際に腹がふくらみ始めるなどと言うような、目に見えた事柄でも起こらないと、何とも言えないと言うのが男という存在の性なのであると私は思っている。 言い訳でも何でもなく、生物としてそのように作られているのだと考える。 生物の常など人間の知性は軽く飛び越えて乗り越える事が出来るかのように思えるが、実際はそのように簡単にいかないものなのだ。 食う・寝る・繁殖するという3つは生物を司る基本的な要項なのだから。 あ、でも寝なくてもいい生物もいるんだっけ。 それはそれとして、なかなか順調に赤子は成長を続けているようだ。 未だその性別は明らかではないのだけれども、私の親父などは「大抵女子であろう」と勝手に予想をしている。 しかし、人間の心理的な面から考えると「どうせ~だろう」というのはすなわち、「期待の裏返し」であることが多く、つまり私の父者は「男子が産まれて欲しい」と願っていると予想する事が出来る。 さて、私は果たしてどちらの性別になって欲しいモノだろうか。 自分の心や思考というモノは、自分自身ではなかなか分からないものである。 自分自身の事柄で分かる事というのは「既に決めている事」であり、すなわち「方向性」を示す事は出来ても、「願望」を明確にするのは意外と難しいのである。 それをいとも簡単に語る事が出来るのは、輝かしい未来を見据える「少年少女」のみである。 明らかな根拠を持って「願望」を「進むべき方向」にしたときのみ、人は夢や希望を語る事が出来るのであって、「そうだったらいいのにな」的な空想的物事を言葉にするのには、私は既に大人に成りすぎてしまっているのだ。 腹の中の子自身が「果たしてどちらの性別で生まれるか」を決める事が出来るのである。 それは実に非科学的な事ではあるけれども、されど世の中には実際の性別と中の人の性別が一致しない性同一障害なんてものがあるのだから、あからさまに否定する事など出来ないのだ。 おお、毎回の事だが話の論点が完全にずれている。 私は思う。 生まれてくると言う事は何という残酷な事だろう。 また論点がずれている気がするが、まあちょっと話すと、これからの世知辛い世の中を、あんまり希望のなさそうな我が国の未来を、悶々としながら生きていかねばならないというのは何とも気の毒な気がしてならない。 そんな風に思う私の人生は余程なんか嫌な事でもあったのかと自分でも突っ込みたくなってしまうのだが、この国の政治家や世界の情勢を見ていると、どうしてもそのような気持ちに成らざるを得ないのだ。 ああ。 そんな話が聞きたいんじゃないのは十分分かっている。 実際に言うべきは「今嫁の腹に子が成長しているという事実をどのように認識しているか」という事柄であろう。 「健康に生まれてくれるか」とか「その為に嫁さんを気遣うべきだ」とか、そんな言葉が求められているのだろう。 ならば私が言うべきは、「そんなに心配するということは、すなわち無駄な不安要素を増やすと言う事に他ならず、あるようにあり、成るようになる事こそが実に自然であると私は考え、所謂一つの「Que sera sera(ケセラセラ)」的な軽い気持ちであるべき事こそが望ましいと私は考えている。 考えれば考えるほどに私は不安を感じてしまう。 そしてその大半は社会的な事柄ばかりだ。 あくまで人間社会に基づいた不安ばかりが頭の中を駆けめぐっている。 具体的に言うと、金銭的な事とか、あるいは出産のための病院の事とか。 不安の形は皆一律ではない。皆それぞれにあるのだ。 皆が一律の不安だけに気をやっていては、別にある様々な困難に対して、都度衝突してしまわなければならないではないか。 それを避けるためにも、それぞれがそれぞれの不安を抱え、その対策を練る必要があるのである。 人の心を敬う事は当然だが、社会を生きると言う事はすなわちそういう事柄も必要なのだ。 つまり、まとめると。 どうせ生まれてきたら子供にべったりになるんだろうから、今は今で、自分の思うように悩んだり遊んだりすればいい、というか、そのような時期なのである。 ってこった。
by unnyo8739
| 2008-08-13 17:43
| 日誌叙情駄文
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