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秋葉原で起きた事件に際し、一部の人々が写真を撮りまくったとかどうとか、 所謂不謹慎極まりないとか言う話で、 やれ現実感が無いだとかどうとか騒いでいたりしてたわけだけれども。 中継された事件・事故現場をテレビ越しに見るという行為は既に、 起こった事柄についてまるで現実感を感じていないのと動議であると思うけどどうか。 スタジオで知った顔をしてコメントをする人々こそ、 まさに現実感が喪失した人間を形にした存在そのものであると私は思う。 でもまあ私はそれ以上にそんなことなどどうでもよくて。 所詮自分の身の回り、目の届く範囲の事しか気を配れないのが人間なわけで。 つまりここから先は私の私的な話が続くわけであり、 かなりどうでも言い事柄が続く。 ついに常温核融合を成功させた科学者は日本人 とかいう記事を見つけた。これが事実であるのならば、 今世の中にあるエネルギー問題は一気に片がつくんだそうだ。 しかし世間というか、このニュースを取り上げているネットでの反応は散々なモノだ。 大抵の人が「いや、ありえないだろう」的な意見を占めている。 世の学者・識者もかなり懐疑的であるようだ。 そして彼らがどこまで事柄に踏み込んでいるのかは知らないが、 世のブロガーらの評判を見てみる限りでもやはり懐疑的な意見で占められている。 しかし過去に、青色LEDは理論上不可能とか言われていたのだが、 今現在しっかり実用化されていたりする。 100年程前の人間からすれば、今現在ある技術などは全て 当時の理論上では不可能の下に存在する物ばかりであると思う。 現実感がないとか、ありえないとか言う言葉を吐く事は非常に簡単であり、 無理だという前提の下に、技術の証明を成そうとしても、 それはまったく否定的なモノばかりしか得られないだろう。 正直私は知識もなく、方々にある記事やら何やらを読んでも、 さっぱり何が何だか分からない事ばかりだ。 しかし私にも出来る事柄がある。 それは信じてみる事、期待してみる事である。 進歩の歴史は挑戦にある。諦め否定する事から新たな歴史は生まれないのだ。 今現在ではトンデモ理論的な話であったり思想であったりしても、 10年先、100年先も同じようにトンデモ扱いされているとは限らない。 逆にトンデモ理論の存在とはすなわち、それは実にユニークな産物であり、 それを証明するために、人々は技術を磨き邁進する事が出来るのであると思う。 技術の進歩は妄想から始まり、現実化を持って次のステップへと向かうのだ。 あり得ないモノとして放棄するよりも、 どうしようもない内容であっても、それを追いかけ解明にいそしむ姿こそ、 技術者としての在るべき姿であると私は考えている。 過去において、アトムは荒唐無稽な漫画作品、アニメの中の存在でしかなかった。 そもそも人型ロボットというモノはそれほど合理的な存在ではないのだとか。 特に人間の形をして戦闘行動を行うなど、全く合理性の欠片もないのだという。 しかし今、当時アトムの背中を追った子供達は、 自分たちの手でアトムを創り出そうと日々邁進していると聞く。 研究者に必要なのは合理性を追うだけではないのだ。 ただ少年の頃に見た夢を、自らの手で創り上げようとしているだけなのである。 次の世代の少年達が創り出そうとしているのはガンダムであるとか。 技術に合理性を求めるのは主に、創られた技術を売りつけるビジネスマンだけである。 アトムを創って良いじゃないか。 ガンダムを創って良いじゃないか。 目指したモノが、少年の頃に見た妄想であってもいいじゃないか。 私は常々思っている。 技術は、文化は、常に少年少女の妄想から生まれていくモノなのであると。
by unnyo8739
| 2008-06-27 10:32
| 日誌叙情駄文
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