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「社会の病根、今も」 九州の識者危機感強く 宮崎勤死刑囚刑執行 死刑が執行された幼女連続誘拐殺害事件の宮崎勤死刑囚(45)。現代型犯罪のはしりともいわれ、その後も猟奇的な犯罪は繰り返されてきた。8日には、東京・秋葉原で無差別殺傷事件が発生したばかり。「社会の病根は断たれていない」。九州の関係者からも不安の声が聞かれた。 「情報化や人間関係の希薄化が進む中、ホラービデオやコミックの影響を受けた現代型犯罪のはしりだった」。福岡大人文学部の平兮(ひらな)元章教授(犯罪社会学)はそう分析する。最近でも2004年以降、奈良、広島などで女児誘拐殺害事件が相次いで発生。平兮教授は「『人間は死んでもよみがえる』と話す子がいるなど、現実と空想の違いが分からなくなる人たちが増えている」と危機感を募らせる。 宮崎死刑囚の裁判を一審から傍聴し、「宮崎勤裁判」の著書もある作家の佐木隆三さん(71)=北九州市門司区=も「宮崎死刑囚の冗舌ぶりは計算ずくの詐病と映った。彼の『精神内界』に目を奪われ、社会が子どもを守る手だてを探ってこなかったことに、あらためて思いを致すべきだ」と語った。 死刑執行は、鳩山邦夫法相の就任以来、約2カ月ごとのペースで行われている。福岡市の市民団体「死刑廃止・タンポポの会」の筒井修さん(60)は、秋葉原の事件などを例に挙げ「頻繁に死刑を執行しても凶悪犯罪は止まらない。死刑が抑止力になり得ていない証明ではないか」と指摘した。 1992年、女児2人が殺害された同県飯塚市の潤野(うるの)小学校。事件が発生して以来、PTAなどと協力して登下校時の見守りを続ける地元自治会長の男性は「子どもが何の理由もなく無差別に殺されることは何よりつらい。これからも、しっかり見守っていきたい」と決意を新たにしていた。 =2008/06/17付 西日本新聞夕刊= ゲームや漫画の影響で人を殺したりどうしたりとか、そんな物が原因とか片腹痛い。 ならばそれ以前の人間らは犯罪を犯さなかったというのか。 答えは否だろう。 むしろ残虐な犯行というのはゲームや漫画などに影響されて怒る物ではない。 むしろゲームや漫画は事実を過去にあった事実をネタにしてあったりするものだ。 人は昔から人を殺すのだ。 現代の犯行が無差別的だとか人間関係希薄だとかどうこういうけれども、 更に歴史を遡ってみれば、人はもっと陰惨に人を殺しているのだ。 大量虐殺であったり、拷問であったり、エゴや快楽のために人は人を殺しているのだ。 何が言いたいかというと、人は人を殺してしまいかねない要素を誰もが持っているのだから、 そんな風にならないような社会形成、教育をしていくべきであるというのが、 真に正しい解決の方法ではないのか。 臭い物に蓋をしても意味など無いのだ。 死刑は抑止力にならないとか、もうどんだけ毒されてるのかと。 死刑は罰だ。償いだ。 我が子に「死刑になりたくなければ犯罪を犯すな」と言っているのか彼らは。 犯罪を犯す事の愚かさ、過ち、背負う物。 背景にある人の哀しみや苦しみ、当事者となる事の恐怖。 そういう物を教えて、犯罪を許さないという教育をなすべきが正しいのではないのか。 行動する事を面倒くさがり、ひたすらに責任を転嫁する。 そんな風に動いているからこそ犯罪は減少しないのではないのか。 見守る事は当然の事だ。 しかし正しき事は「教える事・知る事」にあるのだと私は思う。 心にある正義の炎をともそうと思うのならば、 何より悪を知りそれを憎む心を育てる事が必要ではないのか。 等とだらだら言ってみたわけだが。 これは理想だよな。 実際そのようにして、本当に人が罪を犯さなくなるとは思えないし。 人は罪を犯す物であるという性悪説を根本にして話を進めるべきではないか。 でもそれって。 人は人を救おうとする物であるという性善説が無くてならないよな。 悪を憎むと言う事はすなわち、性善説と性悪説の二つを合わせ持った思考であると言う事か。 そんな事より焼き肉食いたい。
by unnyo8739
| 2008-06-17 16:15
| 日誌叙情駄文
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