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現実は厳しいという言葉があるが、今自分が目にしているこの世界は現実じゃないのか。 私達は素から常に厳しい現実に晒されているのだ。 夢も現実も陸続きの同じ世界にあるのだ。 その事実を認識することなく夢だの現実だのどうこう言う事はない。 あるのは今という状況だけだ。 そもそも理想とは何か。自分に都合の良い世界の事か。 そんな世界などありはしない。 私達は最初から痛みを感じる環境にいるのだ。 証拠が欲しければ自分の顔でも叩けばいい。 そもそもこの痛々しい社会において、成功とは何を指すのか。 搾取される事が一般常識に成り果てているこの国では、 「遊んで暮らせる・遊んで暮らす」という事が許されない。 持って余るほどの財を成したとしても、常に働き続けなければならない。 搾取されるために、搾取するために。 それが当然とされた世界を誰も疑わない。 では現実とは何か。絶望するためだけの存在か。 しかし世にはしっかり遊んで暮らせるだけの財を成している人もいる。 現実にそのような人がいる中で、それらの人とそれ以外の人の境界線は何処にあるのか。 私が何故こんな風に意味不明に息巻いているかというと。 いつものこと、で片付けられてしまいかねないし、実際その通りなのだが、 一応今回の件に関しては一つの理由がある。 それは友人のIがコメントに貼り付けた、何処ぞの誰かのブログを読んだからである。 私ね、ほんとはね、知ってたんですよ。 改めてブログで読まなくても、漫画屋とかその辺の内情とか。 だってダイレクトにその関係の友人がいるわけだもの。 本職の人が友人な訳だもの。 一方的な友人じゃないぞ、多分。 そこから漏れてくる数多の声を、私は敢えて聞き流していた訳なんだけれども。 「そっちの世界も大変なんだな」くらいに。 良くしてか悪くしてか、ただ私の友人は所謂「生活が出来る人」であって、 それほどまでに苦悩する話を耳にしていなかったわけで。 夢と現実に境界線などない。 夢も脳内で起きている現実の一つだ。 希望も目指して進む、通るかもしれない現在からの延長線だ。 もう言っている事が無茶苦茶だ。 っていうか。 名前が売れる仕事するって言うのはつまり、他に色んなモノを犠牲にしてるわけで。 よくよく考えれば名前を売らない、売る必要のない仕事が世の中大半なわけで。 勿論相手に自分を知って貰うという意味での名前を売る行為は必要だが。 あー。 でも最初から痛みを感じる世界にあるんだから、どういう歩き方をしても構わないんだっけ。 最初から最後まで転ばないで歩く事は不可能なわけだし。 この国は失敗に対して非常に不寛容だ。 等と何処ぞのニュースでそんな言葉を見かけたわけだけれども。 実際は数え切れないほどに転んで転んで擦り傷切り傷時には重症になりながら、 それでも死なない限りは現実を歩き続けるわけで。 まあつまり何が言いたいかというと。 今も昔もきっと物創りに憧れる人はいるわけで。 物を創るという行為は非常に偉大な行為だ。 神職だ。大工や刀鍛冶も皆創るという行為を神に捧げるわけだし。 それが非常に煩わしい社会という名の存在に、色々とちょっかいをかけられていても、 創るという事に対して憧れを持ち、それに臨む事こそが、 まさに文化の在り方なのだ。 資本主義の中では在り辛い事であるけれども。 それでも伝えていかなければならない。残していかなければならない。 文化の衰退は人間性の衰退だ。 技術の進歩と文化の発展は別問題なのだ。 芸術を見放した国は死ぬのだ。 それ以前に。 自国をやたらに見下して何かにつけて悪者扱いする、 声だけやたらでかい存在が国を食いつぶしてしまいそうだけど。
by unnyo8739
| 2008-06-11 10:59
| 日誌叙情駄文
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