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嫁は私に「気が早い」と言っているのだが、 妊娠した事は事実であるし、物事は何でも順調に運ぼうと努力すべきである。 すなわち物事はしっかり対処していけば大抵順調にいくのである。 何らかの要因で悪い結果になるかもしれないなどと考えてはいけないのだ。 これは何かしら物事を成す上でも実に重要な事である。 不安要素を100%取り払えるわけはないのだ。 絶対的な成功というものはあり得ないのだ。 だがそれはすなわち絶対的な失敗という物もあり得ない事を指す。 事は常に勝手に起こって勝手に終わるわけではないのだ。 何かが起こるためには何かしらの要因が必要なのだ。 これこそが世に唯一ある「理」なのである。 つまり何が言いたいかというと、このまま少々の誤差はありつつも、 大体予定通り第一子の誕生は行われるだろうと言う事である。 そんな事をいちいちこうやって言葉に置き換えている私自身にも、 もしかしたらという不安の表れがある事を告白するが、 しかし上記で述べたように、絶対に不安という物は取り除けないのだ。 乗り越えていかねばならないのだ。 等と。 まあ思ったりしたわけだが、この様な不安と期待を抱くと言う事についてふと考えてみた。 不安を抱けると言う事は実は物凄く恵まれている事なんじゃないだろうか。 と言うか、具体的に言うと、世の中には食うや食わずの生活をしているような、 そんな貧しい国があったりして、そこにある人はほんとに明日をも知れない命なわけで。 いつ死んでしまってもおかしくないそんな状況下にあって、 物事を普通にこなしていれば、ほぼ何のリスクもなく結果にありつけるという、 今のこの社会がどれほどまでに恵まれていると気がつけるだろうか。 私がこんな星の中の小さな細胞片的なモノに対して右往左往していると言う事は、 全く持ってごくごく小さな不安であるのではないか。 すなわち他にある現実に目を向けていないという証明となるのではないか。 もっと考えるべき事はあるのではないか。 そんな風に考えてみた。 しかし。 人間一人が世界を救える気になろうとする方がどうかしている。 自分の人生を他大勢の為に使う事も一つの生き様であるとは思うが、 やはり自分のために使う事こそ最も大切であると思うべきだろう。 人はどう考えてもちっぽけな存在なのだ。 そんなちっぽけな存在が思い上がって世界を救おうとする方が間違いなのだ。 私は私のためとその周囲のためだけに悩んでいいのだ。 悔しかったら世界を救ってみろ畜生。 誰に言ってるのかまったく分からないわけだが。 とりあえずまあそんな感じで。 やっぱりこの懐妊の事実を知らせに長野の嫁の実家や、 祖父祖母の家とかにも行ったりしなければならないだろうか。 むしろ生まれてからの方が良いんだろうか。 でも生まれたてだと子供の運搬って出来そうにないし、どうしたらいいんだろう。 愛媛から長野への道は結構なストレスになりそうだし。 自分たち二人だけの生活であるのなら車とか要らなかったけれど、 子供が出来た今、やっぱり車って必要になっていくだろうか。 KU☆SO☆GA! もし車を買うならば、燃料がガソリンから他の物に変わって、 費用が安くなってから買えばいいやとか思ってたのに。 石油業界の顔色見ながらエコカー(笑)とか造ってる場合じゃない。 早々に電気自動車とか電池自動車とかを売り出すべきだろう。 家とかももっと広いところに引っ越すべきなんだろうか。 子供の部屋とか今のマンションだと無いし。 うーん。 うん、そうですね。 気が早いですよねー。 ですよねー。
by unnyo8739
| 2008-06-04 16:24
| 日誌叙情駄文
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Comments(2)
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