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そんなわけで先日嫁の妊娠が確定したわけだが。 現在5週目で予定日は2月であるとの事らしい。 この5週目というのはまだ胎児と呼ばれる段階の前にあるらしく、 胎芽と呼ばれる段階であるそうで、心音とか何だかとかはまだ聞けないんだそうだ。 今より更に2週間程してようやっと胎児になるらしい。 詳しい事は良く分からないが、現在7mm程のサイズである事だけは理解した。 ここから細胞分裂を続けていき、どういう理屈か分からないが、 そのうち意思とか何だとかを持つようになるのだろう。 生命の神秘などという言葉を持って迎えられていそうなこの話。 私は神秘と言うよりはむしろ恐怖を覚えてしまう。 何故って人が造られているわけでありますよ。 新しい命を造り出しているわけですよ。 略すると人造ですよ。 自然か人工かとかそんな類の話ではなく、命は生まれ出でる物ではなく、 つくり出される物なのだと言う事を改めて感じたりした。 しかし2月というのもどうなんだろう。 私の誕生日は3月4日なのだが父者は2月の生まれだ。 3世代揃って2月~3月近くで生まれるとかどうなのさ。 何かしらの因縁を感じざるを得なくも思ったりする。 まあそんな物などないんだろうけれど。 でもその後予定日が延びたりして5月とかになったら、 今度は嫁や弟の誕生日近くになったりするわけで。 4月に生まれたりすると丁度中間位になって面白いかもしれない。 誕生日ラッシュになりそうだけれども。 それにしても。 子供が生まれた後もこの駄文散文を私は書き続けているだろうか。 いい加減卒業して、もっとしっかりした人間になるべきなのではないだろうか。 何だか色々考える。 その考えの大半は無駄そのものなんだろうけれども。 頭の中を整理するために色々考えて、逆に混乱するのなんて日常茶飯事だし。 しかし予想外の展開だった。 私にとって自分に子供が出来るなんて全く想像していない事だったからだ。 そもそも結婚した事実すら時折現実なのだろうかと疑ってしまうのに、 まして子供が出来るなどと言う話など、まさに天変地異的現象に等しい。 軽く過去を振り返って5年。もう少し振り返って10年。 その頃の自分と今の自分を照らし合わせてみる。 何か進展があったか。少しは真っ当な人になったか。 いいや、私はこの10年何一つとして変わっていないように思う。 そんな小僧的な私が親と呼ばれる存在だと? 何かの洒落か、あるいは冗談か。 どうしても疑わざるを得ないのだ。 子供が出来た喜びよりも、自分が親になると言う不安の方が強いのだ。 正直な心境を吐露して何が悪い。 皆こうやって一つ一つの不安を積み重ね、 乗り越えていきながら今を築いているのだろうか。 そう考えれば、やれるかどうかなど全く考えるに無駄でしかないのだが。 敢えて言う。 理屈で何事も割り切れるわけ無いだろうが! それが出来るのは絶対的な世の理だけだ! 葛藤こそが人間の成長要素である。 葛藤しない人間に面白味などあるものか! つまり何が言いたいかというと。 これでいいのだ。
by unnyo8739
| 2008-06-04 16:00
| 日誌叙情駄文
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