|
靖国合祀 遺族ら提訴/取り下げ求め那覇地裁に 靖国神社に肉親を合祀されている沖縄戦の遺族ら五人が十九日午後、親族を無断で祭られて追悼の自由を侵害されているとして、同神社に合祀の取り下げを求める訴えを那覇地裁に起こした。国が同神社に戦没者情報を提供したのは、憲法の政教分離に違反しているとして、併せて国と同神社に慰謝料の支払いを求めた。 何で今頃。 つか、死んでも尚政治の道具にされてしまう彼らの魂が迷い出ませんように。 この前父母らと飯を食っていたのだが、唐突に母がこの様な事を言い出した。 「雛人形飾るから手伝うべき」 既に三月も半ば辺り。何故今頃になってそのようなモノを飾るのか。 むしろ今まで一切飾っていなかったのか。 それ以上にもう雛人形とか飾るようなモノではないのではないか。 色々と思ったが、とりあえず時期的な何故を問うてみる事にした。 その結果、どうやらうちの地方なのか家なのか知らないが、 とにかく我が家では旧暦のそれに合わせて人形を出すようで、 今の西暦で言うと4月頃にひな祭りを祝うようにしているらしい。 今までそうだったっけ、とふと疑問に思ったが、きりがないので気にしない事にした。 まだ手伝いには行っていない。 唐突と言えば。 私は小学生の頃、何がどうしてどういう理由でそうなったのかまるで覚えがないが、 生徒会長とかそんなのの選挙に出ていた事がある。 立候補したのか、させられたのか分からないが、私の性格上、 自らそれに立つ事はあり得ないので、きっと流れ的にさせられたのだと思う。 今思えばなかなか面白いポジションに立ったのだから、 精一杯遊べば良かったのだが、元々が怠惰な性格である。 確実に「面倒くさいからやりたくない」という思考があっただろう。きっと。 生徒会長は生徒らの手による選挙によって選出されていた訳なのだが。 その過程として全校生徒の前で演説をしなければならなくなった。 たかだか小学校の生徒会長を選ぶが如き程度で そこまでしなければならないのかと不満を感じたが、 そんな事などお構いなしに物事は進んでいく。 友人らが授業終了後帰宅する中、私とその関係者らは終業後も残され、 色々とリハーサルしたり、原稿を書かされた。 ああ面倒くさい面倒くさい。きっと私はそう思っていたに違いない。 今の私なら演説をさせてくれるというのならば、喜んでそれに乗るだろうけども、 当時の私はただ面倒くさいと言う事だけを考えていた。と思う。 まあそれはそれでいよいよ選挙前々日位。 で、何人かの候補者らが演説を終え、いよいよ私の番になったというその時。 演説の原稿を忘れた or 紛失してしまったという惨事。 いや、別に惨事でも何でもないのだけれども、軽く混乱する当時の私。 とりあえず挨拶。 軽く2、3言。 終了。 もうね、皆が自分に注目してるわけじゃないですか。 心臓バックバクですよ。 アドリブですぐ言葉を思いつこうにもまるで思いつけない。 今の私ならきっと(酒が入っていれば確実に)原稿などなくても、 1時間や2時間位なら平気で喋っていそうだが、当時の私にその能力はない。 最も、1時間も2時間も「まともな事」が喋れているかは疑問だが。 勿論生徒会長は他の誰かに決まりました。 とんだ茶番でした。本当にありがとうございました。 でもあの頃生徒会長とかやってたら、 それはそれでもう少し面白い事があったんだろうか。 改めてちょっと惜しかったかしら。
by unnyo8739
| 2008-03-21 15:30
| 日誌叙情駄文
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||