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にも関わらず風邪を引いたりしている私。 また一つ365日を消化した事になるわけである。 いや、今年は閏年だったから1日多いんだっけか。 毎度毎度思うのだけれども、10年20年と月日を重ねてきたにもかかわらず、 自分自身の内面は、ほとんど何も変わっていないように思う。 身体だけは大人になっているのに心は子供。逆コナン状態。 少年のような心をいまだ持ち続けていると言えば、それもあながち間違いではないが、 成長が見られないという表現こそが相応しくあるわけで、我ながら全く度し難い。 相変わらずゲームばかりしたり、遊んでばかりの自分の姿がここにある。 家族の事、仕事の事、将来の事を見据え、 引き締めていく年代に来たのは間違いないだろうに。 でも、それらを本当きちんきちんとクリアできている人なんて居るのだろうか。 誰しもが迷い、悩み、悔やむ。これこそが人生の醍醐味であるというのに。 それらネガティブな感情が何故醍醐味なのか。これを語るのは簡単だ。 何事もなく盤石に物事が進む事が気持ちよく感じるのは、 常々物事は何事も思うように行かないと言う事を知っているからである。 それらの要素はいつ何時自分に降りかかってきてもおかしくないのだ。 たまたまそれが来なかった日を幸福に思わねばならない。 もし不幸がやってきた場合、それらを乗り越える事は全くもって難しいのだから。 さて、それはともかくとして明日は私の誕生日なのだが。 正直誕生日とは言ったモノの、私はこの様なイベント事はあまり好きではない。 いや。正確に言うと、自分に対しての、自分が主役になってしまうイベントが嫌いなのだ。 勿論祝ってくれるのは大変嬉しい。とても感謝するべき事だ。 ただ、私にとっては自分を祝って貰うより他人を祝う方が面白い。 感謝するよりされる方が心地よく感じるという、まさに人の業そのものが理由である。 これを指して「他人に都合のいい人間」と言われるのならば、 確かにそれは的を射ているかもしれない。 しかし私はこれによって満足を得ているわけである。 完全な自己満足でしかないが、他の何事であっても優先されるのは自己満足であろう。 これにより予想されるコメントが「じゃあ俺のために~してくれ」系のそれらになりそうなので、 先にそれらに対して返答をしておく。 私がどう動くかは私が決める事である。 そんなことよりも、私はやってくれと言われるとやりたくなくなる質なのだ。 頼まれるほどやる気が失せる。 むしろ私が何かをしてやりたくなるように努めたまえ。 で、その誕生日と言う事で、母が飯でも食わないかと誘ってきてくれた。 この事実に対してどのような反響があるだろう。 私にどのような反応が求められるだろう。 単純に喜ぶべきである事は間違いなく確定的なので、それは良いとする。 いい母親じゃないかと言っていただける事も喜ばしい。 しかし。 いい年こいて誕生日を祝って貰わなくとも良いのではないかとも思ったりする。 今更照れるという感情論も勿論、どんだけ親離れが子離れがどうとか思う事はある。 だからといって「いいよ、私ももういい年だから」と、断るのも無情ではないか。 父は言った。 「お前が幼いとき、家が色々上手くいってない時期と重なって苦労をかけたな」などと。 親に苦労をかける事はあっても、逆に苦労をかけたと言われるこの心境。 何とも言えず心苦しい。 私が、人間としての成長がほとんど見られない事に苦労をかけている自負はあるのに。 ならば。 いい年こいた私であっても、彼らの子として彼らの祝福を受けるのも一つの孝行ではないか。 打算を腹に抱きながら享受する事は多少心苦しくもあるが。 でもね。 そんなことより風邪の残り香がしんどいというこの事実。 こんな体調だから折角の厚意にも預かれない。 虚弱体質ヒャホーイ。 orz
by unnyo8739
| 2008-03-03 14:49
| 日誌叙情駄文
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Comments(5)
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