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命は消耗品である。いつか確実に失われる。 命はそれ自体に価値はなく、その使い方、生き様にこそ真の価値がある。 命は多くの死の上に成り立っており、それに気がつかず命を叫ぶ事は愚かである。 命は全ての生き物に対して平等であり、個人の価値観でそれを語る事もまた愚かである。 故に私は愚かである。 命を賭けるっていう言葉があるんだけど、 最近はそれを無駄死にとか、命の価値を分かっていないとか、 ゲーム感覚とか言って批判する。 けれども私は命の賭け時っていうのは存在すると思う。 我が身可愛さに、その瞬間にそれを成せないからこそ、 皆平凡な一生しか迎えられないのだろうと思う。 一点突破、一つの物事に命を賭して打ち込む姿は、 例えそれが志し半ばに散ったとしても美を感じさせる。 何も成さず、ただ人生を送る。これも一つのあり方である。 美こそなけれど、醜でもない。 ならば、我が身のために他社を犠牲にし、ただ死に怯える姿は醜であるか。 人の命に勝手な解釈を後付け、傍観するという行為こそが醜である。 故に私は醜い。 等という事を、飯を食いながら考えていたわけだけれども。 実際命を大事に! とか叫んでる奴が、周りの命に関して無関心であったり、 一方的な解釈を押しつけるのみで、その人の人生を否定したり、 まったくもって「エゴだよそれは!」と切り捨てたくなるんだけど。 そんな事言ってる私もエゴに過ぎないと言われればその通りなんだけど。 何処かの漫画で「命を大事に」と、身勝手な解釈を押しつけ、 目の前にある失われそうな命があるにも関わらず、己の命可愛さに、 それを見捨て、「これは命を大事にしている」と叫んでるって言うのがあったんだけど。 内容はよく覚えていなくて、後に他人の為に命を賭けられるだろうか、 みたいな事が続いていたと思う。 コレ何の漫画だっけか分かる人教えてください。 ともかく、「命を大事に」とか言う人を皮肉った漫画で面白かったのだが。 身近な人のために身を挺して何かをするというのならともかく、 見知らぬ人のために命を投げ出すというのはなかなか難しそうだ。 よく漫画なんかで、悪者が名も無き一般市民を虐殺とかしたりして、 それに対して主人公が怒ったりなんかするんだけど。 でも彼らは暴挙に怒ってるだけで、他者の死に悲しんでるわけではない。 仲間がやられれば悲しみをあらわにするだろうけど。 名も無き一般人からすれば、主人公の仲間が死んだとしても、 彼らこそ名も無き何処ぞの誰かであるわけだから、 何らかの感情は覚えたとしても、悲しみを感じる事はないだろう。 人間は自分が思っているよりも、他人の死に対して淡泊である。 所詮一人一人の人間の世界など、ごく限られた僅かでしかないのだろうか。 ドラえもんにおいて、のび太がしずかちゃんと結婚する際に、 しずかちゃんのパパが、のび太に対してこんな評価をしていた。 「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ」 のび太は全ての少年らの象徴であるという。 ドラえもんの存在こそに憧れを抱きがちであるが、 そのように評価されるのび太という人柄にこそ、その魅力があるのかも知れない。
by unnyo8739
| 2008-02-12 15:06
| 日誌叙情駄文
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