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誰しも会話をするにあたって、相手によって言葉を使い分けたりするモノと思う。 単純に目上の人には敬語を使うし、友人には友人に向けての言葉を使う。 某巨大掲示板に書き込む際には、微妙に上から目線的口調になったり、 一般のブログに書き込む際は、物凄く腰を低くする。 思いつくだけでもこれだけの言葉の使い分けが成されている。 その場その場において、正しい言葉を用いて会話をしなければならない。 いい加減な言葉遣いをしておれば、それは自分自身の信用を著しく下げる行為に他ならない。 親しき仲にも礼儀あり。 常に礼節を尽くしてたたねばならないのである。 それは当然として。 ここ最近直な会話ではなく、文字のみでの会話が主となる関係が増えてきたように思う。 例えば上記に挙げたブログや掲示板への書き込み。 ネットゲームもまたそれに当たるだろう。 顔が見えない文字のみの会話は、その言葉の雰囲気・ニュアンスを伝えるのが難しい。 相互の性格を知っている仲ならばともかく、軽い冗談を言ったつもりが、 人間関係を悪化させてしまう大問題になりかねない。 空気読めって言葉がある。 ここ最近ではKYなどと省略されたりするが、KYと言われると、 朝日新聞捏造事件が真っ先に頭によぎったりするのだけれども。 ちなみに少し前にその朝日新聞内の記事において、 確か福田総理に宛てた社説か何かにおいて、「KY」という言葉が用いられていた。 どうでもいい話であるけども。 まあこの空気読めなどという言葉であるが、私には酷く乱暴な言葉に思えてならない。 これって要は、その場の流れに合わせろという事だろう。 そりゃ確かに葬式などで抱腹絶倒大爆笑してたら空気読めないと取られるだろう。 あまりに極論ではあるが。 しかし実情は一種の言論統制ではないだろうか。 多数でしめられた大きな流れがあるとするならば、それに乗らなければならないという、 強制行為にも思えてならないのである。 孤独を恐れる現代社会が生み出した、思考を封じる言葉なのではないか。 少数派は空気の読めない一団とされているのではないだろうか。 こんな言葉が世を席巻しているとうことは、 すなわち思考停止の蔓延の事実に他ならないのではないか。 私にはそのように思えてならない。 全部うっそー^^ ねえ欺された? 騙された? ひゃほーい^^
by unnyo8739
| 2008-02-05 16:30
| 日誌叙情駄文
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