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昔ナチスって言うのがあって、そこのゲッベルスって人が、 ドイツ国民に与える警告として次のような内容の文書を1934年に公布したんだと。 「それは、非常に強大な超国家的勢力が、文明の破壊にもつながる心理戦、 神経戦を挑んできている。これに対してドイツ国民は十分警戒せねばならない。 この心理戦、神経戦の目的とするところは、人間の純度を落とすことにより現存する 国家を内部からむしばんでいこうとするものである」 その心理戦、神経戦の目的ってのが以下の列。 「人間獣化計画」 愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、 3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、 俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、 恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定 これって今の日本じゃん。ゲッベルスさん予言者? って話が結構前からあるんだけど、知っている人はどれくらいいるんだろう。 某世紀末予言者なんかより、ぴたりと当たってるわけで。 まあたいしたもんだね。 ある程度現状を見越して、その現状から導き出される問題点をくくりだし、 その問題点から考えられる次の問題、そのまた次の問題を整理していくと、 予言、予知をするのは結構容易いことなのかもしれない。 けれども、もたらされた真実の大半が歴史に刻まれることは少ない。 歴史を語る上で必要なのは真実ではない。 いかなる事実ももたらされた結果も、歴史にはまるで必要ではない。 歴史は人間、あるいは国家の都合次第でいいように書き換えられるからだ。 所詮歴史もまた人の作り出したモノでしかないのだ。 人間の作り出すモノは常にして完全ではなく、欠陥を孕むものなのだ。 個人の解釈一つで、歴史の意味合いはいかようにも変貌する。 真実は人の心の数だけ存在し、常に一つではないのだ。 故に正しい歴史などというモノは存在し得ないのである。 と、理屈は別にどうでも言い訳だが。 しかしこのクソ長い前置きを語らないと、 話を進める気にならない性格は何とかならないだろうか。 私自身理屈っぽい性格であることは認めるのだけれども、 いちいちそれを形にするのは、本来持ち合わせている美学のそれに反するのではないか。 知り得ても語る事なかれこそが私のモットーじゃなかっただろうか。 そもそも私程度が知り得た事など、世の先輩諸氏乃至 未来を背負う若人の誰もが思いつくことであり、 わざわざそれを形に示して「俺すげー」的な行為を行うのは、 愚か者であり恥ずべき行為と認識し、そう成らぬよう物事を進めてきたのではないか。 そもそも自分本位の真理など、他人から見ればただの与太話である。 聞いてても「はあそうだね」程度に取られたのであれば、まだ良い方であり、 大半は「そんなの興味ねえよ」との心理が働くのである。 しかし諸外国においては逆だ。どんなくだらないことでも言葉として発することで、 一人の人として認められるわけである。 勿論くだらない話に関しては、上記のように興味を持たれない事は当然だが、 とかく何かを考えているというアピールを怠ると、 何を考えているか分からない人と取られてしまうらしい。 おい。 そんなことよりもう話をするスペースがないし、どんどん脱線してきてるぞ。
by unnyo8739
| 2007-11-06 11:14
| 日誌叙情駄文
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