|
タイトルの通り。 私はガムを口に入れると、味が無くなったらすぐ吐き出して、 すぐに新しいガムを噛んでしまうと言う癖を持つ。 チェーンスモーカーならぬ、チェーンガ……、ガマー? 言葉が思いつかないが、まあどんどん噛んでしまうのである。 その速度と来たら、自分でも呆れるほどに異常であり、 買ってきたガムが、1時間で全て消費されることもざらなのである。 喫煙者ではあるが、口が寂しいわけではない。 そもそも私の喫煙率は、通常の喫煙者に比べて恐ろしく低い。 まさに嗜む程度しか吸っていないのである。 ならばこの際やめてしまえばいいではないかという話もあるが、それはまた別の話。 ならば何故のど飴などを買ったか。 それはつまり。 理由など無い。物事の全てには原因があり、理由がつくと言うが、 ふとした行動一つにまで理由と原因を求められても、答えようがない。 何となく、としか答えようがないではないか。 確かに理由をつけようとすれば、小腹が空いたからとか、 甘いものが食べたかったとか、そういう理由をこじつけることは可能だろう。 しかし、そんな理由を求めて何になると言うのか。 何となく買った。これが理由と成らずとして、一体何を理由とすればいいのか。 これほどまでに、このような無駄話をするのには理由がある。 職場において、「物事には何でも理由と原因があり、常にそれを考えよ」 との話をされた事がある。 こんなくだらない話をするのにも、何かしらの理由は存在してるのだそうだ。 けれども。 「右と左、二つの道がありました。あなたはどちらを選びますか。そしてその理由は?」 などという問いを向けられた際、理由を求められても答えようがないと思うのだが。 これは私の脳内に、その答えとなるべき言葉が搭載されていないだけで、 他の、所謂一般の人大抵は、この答えが頭の中に搭載されているのだろうか。 例えば「海賊王に、俺は成る!」という言葉に、「何故」と問うた際、 「成りたいから」と答えたとすれば、それは人を納得させるに十分な答えと成り得るのか。 その程度の答えであっても人は納得するのであれば、元々答えを望む必要があるのか。 では、上記の答えに納得がいかないとして、もっと正式な理由を求めたとする。 そうすれば、その人の生い立ちやら生き様、信念に至るまでの話をせねばならないだろう。 それは話としてとても面白いことではあると思う。 しかし、何気ない一言はつまり、その人そのものを持って答えとせねばならないほど、 深い問題であったりするのか。 個人情報保護法に則り、貴方の質問には答えられません。 とかそういう答えが出たらどうするんだ。 「何で答えられないの? 聞いてるんだから答えなさいよ!」 答えられないという答えだって、正当な答えであるはずだ。 そもそも何故そんな質問をしてくるのか、こちらが聞いてもいいんだぞ。 万人を納得させるような、正当な理由もなく、ただ何となく聞きいてみたとかいう答えだったら、 私はお前を許さない。 物事には原因も理由も確かに存在する。 それをもとにして、人は動く。 しかし、確かに原因と理由があったとしても、 全ての人が打算を意識して生きているわけではない。 ただ何となくそうしようと思ってそうする人だって存在するのだ。 自分の理解できないものを異端とするような、そんな考えしか持たないのなら、 目を噛んで死ね。 他人を納得させるために私は存在してるんじゃない。 自分自身への納得すらおぼつかないのに、そんな納得なんか与えられるものか。 とまあ。 そんなことより、キシリトールには軽い下剤作用があるらしく、 大量摂取すると腹を下すので気をつけるべきである。
by unnyo8739
| 2007-10-30 15:55
| 日誌叙情駄文
|
Comments(2)
|
ファン申請 |
||