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先日職場に赤子がやってきた。 現在育児休暇中の人が、挨拶を兼ねて連れてやってきたのだ。 赤子はまあご他聞に漏れず、わあわあと泣き叫び、 オフィスでは僅かに顔をしかめる人もいたりいなかったりしたわけだけども。 私はそんな事とはまるで別の事を考えていた。 野生動物の赤子は、母親の胎内である程度成長してから生まれ出でてくる。 牛だの馬だのの出産のシーンを見たことがある人も多いだろうが、 彼らは生まれてからすぐ自力で立ち上がり、活動を開始する。 そうしなければ、自然界にある脅威にあっという間に飲み込まれてしまうからだ。 生き残るために、彼らは必然の元にそのように在るのである。 だが。 生まれてすぐの人間の赤子は、まるで無力である。 必ず誰かしらの助けがないと、生きていく事が適わない。 そして成長していく上においても、母親父親だけでは育てきることが出来ない。 ゆえに人は社会を作り上げ、協力して子供を育てたり餌をとったりするようになった。 では。 人はサルから進化したというが、果たして生まれてすぐのサルの子供も、 やはり無力すぎる存在であり、社会の下でなければ生きていけないのだろうか。 いや、そんな事はないはずだ。 他動物に比べれば非力な存在であるかもしれないが、 人間の赤子程無力な状態で生まれてくる動物はいないように思う。 では、人間の子供は、いつからあのように無力な状態で生まれてくるようになったのか? 進化の過程のうちに、無力状態で生まれてくるほうが、社会を形成しやすいため、 あえてそのように生まれてくるようになったのだろうか? ならば、これは進化と呼べるのだろうか。 赤子の形を見て、人間は本能的に可愛いと思うように出来ているのだそうだ。 大きな目と丸く小さな体。 犬猫の子供を見て、やはり可愛いと思うのも、人間の赤子のそれに近いからであるという。 目の異常にでかいアニメキャラもまた、どこかそのような物があったりするのだろう。 多少違うものも混じったが、これはつまり人間には共同社会を営んでいくという行為を 本能が記憶しているという証明である。 果たして、人間はいつからこのように、どうしてこのような形になったのだろうか。 所謂自然に存在する生き物たちとは、まるで違う存在である。 自然の中に生きるという根本から大きく外れてしまっている。 本当にこの地球より出でた生命なのだろうか? 所謂原始人と呼ばれる人々の形と、今ある人間の形はまるで違う。 長い時間をかけ、少しずつ今の姿になっていったとするならば、 今後人間の形がまた変わっていく可能性は往々にして否めない。 勿論全人類が死滅し、後の世界に存在しなくなる可能性もあるが、 果たして。 人の歴史がいったいいつごろから存在するかわからないが、 一万年前くらいには、既に人の存在が在ったとしよう。 ならば、次の一万年後の人間も今の人の形を成しているのだろうか? 確かめようがない事実ではあるが、どうしても疑問に思わざるを得ない。 あれかな。 やっぱり月を見て大猿に変身したり、手から気の弾を撃ったり そんな事が出来る様になってるんだろうか。 もしくは、液体金属人間とか作って、過去の世界の崩壊を狙ったりするんだろうか。 妄想は尽きない。
by unnyo8739
| 2007-07-26 15:43
| 日誌叙情駄文
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