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私はなるべく前向きな感情でがんばろうと、日夜必死なわけで。 どれくらい必死かって言うと、アルプス登山とかしてて、 眠ったら死んでしまう仲間を叩くことで起こそうとして、 うっかり撲殺しちゃうくらい。 そんな私もたまに鬱になることがある。 それは様々な理由があったりするのだけど、 大抵が自分を駄目だ駄目だと思い込んでしまうことにある。 普段の私であれば、あまり気にもしないことを、いちいち気にしてしまうのだ。 良いことではないとわかっていても、気が滅入ってしまうと人間は弱いものである。 この日もラヴァーのおうちに行くとき、どうしようもなく鬱になってしまった。 何だかやる気がなくなり、非常に身体が重く感じる。 とりあえず本日の自分が鬱であることをラヴァーに報告する。 鬱や心の辛さなどは、さっさと他人に打ち明けてしまう。 自分一人でどうにもならないから、鬱なのだから。 同時にその状態を告白することで、相手にも自分にも心にゆとりを作ることが出来る。 不機嫌なまま黙っているだけでは、相手へも自分にも良い結果をもたらせない。 また、自分で言うのもあれだが、私はプライドが高い。 そのため、あえて相手に自分の鬱状態を報告することによって 逆にその鬱状態など見せてやらないぞという体勢を作り上げる。 これから自分と戦ってみようと思う。 やっぱり何かしらの事で、どうしても鬱になってしまったりすることもあるのだ。 鬱になってしまうと、本格的に無気力やら何やらで えらくどうしようもない精神状態になってしまうものだ。 しかし、鬱にいつまでも時間を取られるのは腹立たしいことこの上ないではないか。 鬱であろうとなんだろうと、立ち向かっていくべきだろう。 そんな言葉を頭に描いてみる。楽観的な言葉を脳に浮かべてみて、 これからの地盤を固めていく。 次は自分が何故鬱なのかを最初に考えてみよう。 やはり結果には原因があるのだ。 そこを追求することによって、自分自身を納得させれば、 おのずと解決策が浮かんでくるのではないかと思う。 一体何が原因なのか、どうしてそんな風になってしまったのか。 ひたすら考えてみる。何か浮かんできただろうか。 次は、その原因を自分がどうするかだ。 いちいち気にしていては、全く進展はありえない。 この際、子狐とブドウでいいのだ。 自分に言い訳をして、自分に都合のいいようにとってしまってもいいのだ。 いいや、この経験を次回に生かせばいいのだ、 これは失敗ではなく経験なのだ。 自分を弱いと認めることも大事であろう。 人間が完全な存在であるならば、それは既に人間ではない。 弱くて当然であり、他人は思っているほど自分に否定的ではないと考えてみる。 失敗は当然当たり前、楽に行けばいいじゃないか、そんな風に考えてみる。 被害者意識が私の鬱を増幅させているように思えるからだ。 都合のいい思考で自分を納得させる。 楽な考えでいいのだ。 弱さを認めるのは、楽をするためではない。 自らを乗り越えなければ、延々何も変わらない。 先も言った通り、私はとても傲慢でプライドが高い。 何でもかんでも楽でいいよ、などと考えていると、 「そんなことありえない」という気持ちでみなぎってくる。 楽だけでやれると思わない、それは正しいとは思えない。 楽もそこまで行き過ぎれば退廃に過ぎない。 確かに弱さを認めることも大事だが、楽に溺れるのは私が許さない。 そんな気持ちが奮い起きてくる。 手を強く握ってみる。 手のひらに爪が食い込むほど強く強く。 たったそれだけのことで、かなりのやる気が湧いてくるような気がする。 ついでに腹にも力を入れてみる。 全身に力がみなぎった気になってくる。 後にこの事を友人に話してみると、既に既存のことだったらしい。 とにかく腹に力を込めることで、何かしらみなぎってくるのだ。 そうこうしているうちに、電車はラヴァーの家の近くまで来た。 鬱は晴れたが、どんどん自己妄想がでかくなっていく。 「勇気をくれ」なんて言葉があるが、もらってもそれを掴み取らなければ その辺に転がる小石のようなものである。 勇気だろうと、愛だろうとなんだろうと、 全て自分で掴み取らなければ無意味この上ない。 うほ、私様万歳、私様最強、私様偉すぎ。 もう私様は、鼻息出して興奮状態、人に語りたくて仕方ない。 鬱であると最初に伝えられたラヴァーが、 暴走状態で熱く語る私を見て、 「…どの辺が鬱なんだろう?」 と思ったなんて、私様にはちっとも関係がないのである。 私様万歳、私様最強、私様最高。
by unnyo8739
| 2004-06-29 09:59
| 日誌叙情駄文
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Comments(1)
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