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アメリカだかどこかの、ジョークだか真実なんだか知らないけれど、 電子レンジで猫あっためちゃって、裁判起こしたって話があるじゃないですか。 電子レンジの取り説に、猫あっためちゃダメーって書いてないから、メーカーが悪いって どう見てもトンデモ裁判なのに、勝訴しちゃうって話。 日本人の感性から考えると、トンデモ裁判だけれども、 裁判大国であるアメリカでは、笑い話ではなく、ことわざの一つのような物なのかもしれない。 身近な物から、大金をつかむ、みたいな。 いや、この例えだと、動物愛護協会から訴えられそうだけれども。 でも、よくよく考えると、この裁判。(例え話だけれども) 考えれば考えるほど、原告の無知をはっきりくっきりと証明しているだけのように見える。 「原告はアフォ。仕方ないじゃん、犬にかまれたと思って諦めてね」 それが企業側、メーカー側に出された説明なのではないだろうか。 言葉だけは思い切り小難しく記しているんだろうけども。 最近日本でも、少年犯罪の元凶になりかねないとかどうとかで、 本だのゲームだの、映画だのにやたら規制を設けてきている。 言論の自由だか出版の自由だかど忘れしたが、そういう法律があるおかげで、 それらが根絶されるまでには至っていないが、有害指定されたゲームなんかもあるわけで。 「こんな本やゲームがあるから、現実と空想の区別がつかなくなって犯罪を犯す」 これが規制の大きな理由の一つであると思われるのだけれども。 こんな本やゲームがない時代から、犯罪は行われてきている。 何故か。その原因は貧困などから来る、生きるための、生きるために 仕方なく行われるものが主であったように思う。 それの味を染めて、更に大きな犯罪を犯すのは、 真っ当に生きても、その見返りはほとんどないという社会の仕組みを知ったからであろう。 よく「俺が悪いんじゃない、社会が悪いんだ」というのは、ここから来ていると思われる。 社会が悪かろうと何が悪かろうと、犯罪を犯した当人が一番悪い気がするが、 時代によっては、奇妙奇天烈な法が適用されていたこともあり、 非常識がまかり通っていた時代もあるだろう故、それはそれで一理あるのかもしれない。 話を戻そう。 では現代の、「ゲームだの本だのが原因で~」と言われる犯罪についてはどうか。 一例を挙げてみよう。 ・人を銃で撃つゲームがあった。 ・それを見て銃を撃ちたくなり、撃った。 ・彼に銃を撃たせる要因となったのはゲームであり、ゲームが悪い。 うん、このような感じであろうか。 実際どのような基準判断で、裁判が行われているのかわからないが、 恐ろしいほど至極単純に考えたら、こんな感じなのではないかと思う。 流石にこんな馬鹿みたいな話があるとは思えないが、あくまで一例として考える。 現在上記例には、「ゲーム」という言葉が記されている。 しかし別にそこに当てはめる言葉は何でもいい。 「本」でもいいし、「映画」でもいい。 とにかく、空想上のものが現実にシフトしてしまった、と結びつけばいいのである。 「本」「ゲーム」が原因であるとするならば 情操教育に問題はなく、至極真っ当に育ってきたことが大前提であり、 至極真っ当に育つ上で、当人の道を踏み外させたそれは、 あくまで「本」「ゲーム」などなのである。 「当人の精神的な問題から事件は発生した」という考えはない。 いや、どう考えても当人の問題であるように思えるのだけれども。 それは私の思考が、それらの思考と食い違う形で成り立っているからだろうか。 私の人生では「現実と空想が一緒になってる奴が阿呆」とされてきた。 しかし最近は「現実と空想が一緒になるから、その原因を作る奴が阿呆」とされている。 ああ。 なるほど。どうしてこんな阿呆がまかり通るか分かった。 法を求める人間、乃至作り出す人間の質が下がったから、 社会の質も下がってきてるんだ。 激しく納得。 いいのか? 日本よ。
by unnyo8739
| 2007-04-02 14:45
| 日誌叙情駄文
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