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気がついたら禁煙を達成していた。 といっても完全な禁煙ではなく、「ほぼ」禁煙である。 酒を飲む際に吸う事もあるが、家ではほとんど吸わない。 私は元々ヘビースモーカーと呼ばれるタイプの人間ではない。 一時的に「ああ、ちょっと吸い過ぎかな」と思った事もあったが、基本的にはあまり吸わない方であると思う。 それでも「あー、煙草吸いてー」という禁断症状を覚えてしまうのが、煙草の依存性という奴である。これはかなり強力だ。我慢していると妙に苛立つ。吸うとすっきりする。 身体にいいものであるはずもないのに、身体が欲しているのである。 故に僅かであっても煙草を吸う人間は、この依存性に悩まされ、煙草をやめることも減らすことも出来ないのである。 当時私が吸っていたのは、甘い香りのする非常に評判の悪い煙草であった。他の煙草を吸っても臭いだけで、あまりうまいと思えなかったのである。うまいまずいなど分かっているのか疑問だが。 この煙草は少々きつめであった。きつめの煙草であれば、その分数が消費する量は減るかなと考えたからだ。しかし実際は、きつかろうが軽かろうが、同じように消費してしまう。 その事実には気がついていたものの、きつい煙草になれた身体は、常にそれを求めようとする。非常に困ったものである。 だが、これは限られた店でしか取り扱いをしていなかった。 そうなると、他の煙草で我慢するという事が出来ない私は、それを購入するまでひたすら喫煙を控える事になるのである。襲ってくる苛立ち。私が灰皿にあるシケモクを好んで吸ったりするのは、実はこの苛立ちを抑えるために、シケモクに手を出しまくっていたからなのである。 そのうち努めていた会社が引越を行った。引越先ではほぼ屋内禁煙であった。 仕方なく喫煙室にて煙草を吸ったのだが。 独特のにおいがする私の煙草に苦情が来る。仕方ないので社内では喫煙を控える事にした。 この日以後一切社内で煙草に火をつけた事はない。 朝から夕方まで、完全に禁煙状態で過ごしていたのである。 するとどうだろう。いつの間にか煙草がない事に関する苛立ちは消えて失せてしまった。 お気に入りの煙草も、わざわざ指定の店まで行って買うのが面倒くさくなり、結局どの煙草でもよくなってしまった。 いや、それだけに留まらず、喫煙自体がどうでもよくなってしまった。 友人らが目の前にて吸っていると、ちょっと貰って吸う事はあっても、自分で買おうとは思わなくなったのである。 今まで何度か禁煙を試みてきたが、いくら努力しても、まるで止められなかった。 が、何の努力も考えもなくして放置していたら、気がつくと禁煙達成していた。 何だこりゃ。 人生は常に自然体に臨めば、自ずとよい結果に恵まれるという事なのか。 よくわからない。
by unnyo8739
| 2006-12-07 12:14
| 日誌叙情駄文
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