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漫画を描いたりする作業をしていると、どうしても音楽乃至、音が欲しくなってくる。 などと言う事を考えていたら と言う話を目にしてしまった。 話は耳にするものな気もするが、目にしてもいいものなんだっけか。 実際聞いたわけじゃなくて読んだわけだし、目にしたんだもんなあ。 まあ、それは置いておいて。 この話を読んで「じゃあ音楽作る人は想像力がないのか」と言うのが頭にまず浮かんだんだけれども、それはまた別の話なのだろう。 よくよく記事を読んでみると、自国語の歌詞かどうかに関わらず、テストのスコアは悪くなったのだと言う。 何でなんだろう。 単純に考えれば、集中力が音楽の方にも分散してしまって、気分は高揚しても、テストの方への集中が途切れてしまったという感じか。 ファミコンしながら勉強することは出来ない、みたいなそんな感じなのかしら。 でも私は静かな環境の方が集中できないんだよなあ。 別に音楽じゃなくてもいいんだけど、雑踏の音とかそういうのがある方が集中…というか気分を高めつつ作業が出来る。 しかし。 何だかんだテストのスコアに影響が出たとしても、人間というのは数式で動くような存在ではないわけで。 さまざまなゆらぎを持ち合わせている生き物であるわけで。 もし、テストのスコアが悪くなったとしても、気分が上がっていけば、長期的なスコアは良くなるのではないかと。 集中すると言う事は、実質この上ないストレスを与えられた環境である事を考えれば、この想像は案外悪い線ではない気もする。 知らんけど。 それはそれとして、よくもまあこんなテストとか考えて行っているものだと感心する。 普通に生活していたら、「しょーもない」で切り捨てられそうなことだもん。 それをクッソ真面目に考察し、研究している人が居るのだと考えると、本当に偉いなあと思わざるをえない。 私なんて大抵自己完結で済ますので、様々な研究結果を見ても「そうかもね」と言う、ひねくれた感想をまず最初に吐き出してしまうと言うのに。 ちなみに。 私が作業用によくかけているのは、「怪談朗読」。 別に怪談を聞きたいわけじゃ亡くて、ゆっくりボイスが長時間喋っているのを聞き流しているのが心地いい。 時々話の内容が耳に入ってくることもあるけれど、大抵聞いたことがある話なので、すぐに作業の方へ意識を戻すことが出来る。 本当は怪談なんかよりももっとマシな、ラジオ的なゆっくりボイスを聞き流す方が健全なんだけどなあ。 でもそういうのがないから仕方ない。 自分で作るというのも実にナンセンス極まりない。 他人が作ったものを聞き流すから意義があるというのに。 ゲーム実況とか、話を聞いているうちに絵も観たくなるんだもんなあ。 世の中はそれほど上手く回らないようだ。
by unnyo8739
| 2019-03-19 13:00
| 日誌叙情駄文
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