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ツイッターでもyoutubeでもそうなんだけれども、ちょっと賢しいことを言ってそれが受けると、わーっと人がやってきて、ポジティブネガティブ入り乱れて議論のようなものが成されるのを見たりするんだけど。 結構な人がズレた話を言っていたり、皮肉を理解できないでいたりするのを見ると、ちょっと小賢しい人なんかからすれば、世の中バカばっかりに見えても仕方ないんじゃ無いかなと思った。 だってアレだもん。 バカって自己主張強いんだもん。 バカだから自分の考えで、相手にマウント取ろうとするんだもん。 でもそのバカの勢いって言うのは、実は相当素晴らしいエネルギーであるようにも思えるので妬ましい。 普通の人と定義して良いのか分からないけれど、少し考える事が出来る人なんかは、「想像力」を働かせて「行動しない」と言う選択を取っちゃうんだもん。 それって良くないよね。 実際ウケる人って言うのは、「想像力」を働かせて「行動する」人なわけだし。 炎上なんかも計算の内でやっていたりするんだろう人も居るだろう。 まあ、炎上の8割は自爆だけど。 私は、何物にもなれないし、なろうとも思わない。 だって面倒くさいじゃない。 そりゃあ有名になってお金が沢山は言ってきて怠惰な生活が保障されるって言うなら必死にもなるかもしれない。 でもそこに至ろうとする気力のない、ダメ人間となってしまっているのが現実なのだ。 楽な方楽な方に流れてしまうのだ。 それを誰が咎めることが出来ようか。 良い学校入って、良いとこに就職する。 この時点で楽な方に流れていると言って全く過言ではないのだから。 人に使われるけれども、人に補償されているという身分。 楽と言わずして何という。 私は上を目指したいんじゃないの。 誰かに担ぎ上げられて、障害左うちわで過ごすご神体でありたいの。 つまり何が言いたいかというと。 生涯誰かに養われてダラダラ贅沢して生きていきたい。 他の誰かのことなど気にかけず、雲の上からの目線でニヤニヤ過ごしていたい。 そんなことが許されるだろうか? いや、むしろ許されるべきなのだと思うのだがどうだろうか。 許そうとしない現実こそ、許されないのではないだろうか。 知らんけど。
by unnyo8739
| 2019-03-08 11:00
| 日誌叙情駄文
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