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娘は一度ピアノ教室に通っていたのだが、なんやかんやで辞めてしまった。 理由としてはやはり基礎練習のつまらなさが一番にあったのでは無いかと思う。 加えて個人練習であるから、そのストレスを緩和してくれる存在も居なかった事も挙げられると思う。 基礎はつまらないが、大事な事である。 でもそれ以上に大事な事は、モチベーションを保つことであると私は考える。 故に「発表会とか基礎とか、そういうのは二の次で良いので、とりあえず長く続けたくなるモチベーションを築いてください」とお願いしたのだが。 先生の力不足というよりは、教室のマニュアルのせいというか。 上記のような注文をしたとしても、教室としては基礎を教えないわけにもいかないし。 でも実際つまらんもんなあ、基礎。 そんなわけで辞めてから久しく。 数年経って、youtubeや友人らがピアノを弾いているのを見て、再びピアノ熱が沸き上がってきたらしい娘。 基礎は置いてけぼりではあるが、自分で「きらきら星」とか「ねこふんじゃった」などを友人らに教わったりして弾くようになった。 特に「ねこふんじゃった」にかける情熱というか、何というか。 それは上手く弾けるという自信があるせいか、高速で弾いてみたり、後ろ向きで弾いてみたりと、何とも曲芸染みた真似までやり始める始末。 そこまで言うならと、再びピアノ教室へ体験入学の予約を取ったのが昨年12月。 それが何とも間が悪いことに、扁桃腺だかなんだかが原因で発熱。 一週間近くも高熱が続くという状況であった為、予定していた日に教室へ行くことは出来なかった。 これはアレか、天の啓示か何かなのか。 教室行っても続かないよ、的な感じなのか。 しかしそんなことを言われても、再び予約をするだけの話なわけで。 今度は長く続けてくれると良いんだけど。 前とは違う先生が担当になるようだけれども、今回も先にお願いした注文をするべきだろうか。 娘には「最初は基礎ばかりで本当につまらないのだけれども、それでも良いのか?」と、口を酸っぱくするほど言ったうえでの教室予約であるし。 以前よりは多少モチベーションを高めてくれると信じたいが…どうなんだろう。 親としては娘を信じるべきであろう。 だから信じてしまっているのだ。 「途中で飽きるのではないか」と。 「信じる」と言う言葉は、往々にしてポジティブなとらえ方をされているがしかし。 ネガティブな意味でも十分に作用する言葉であることを知らなければならない。 故に、無作為に「信じる」などと口にするべきではないのだ。 まあそんなわけで。 今度は本当にしっかり練習してくれるだろうか。 多分練習しないと思うんだけどなあ。 でも「千本桜弾きたい」と言うのが願いであるようだし。 いっそその曲だけ教えてもらって辞めるという散弾もありかも知れぬ。 いや、流石にそれはあまりにネガティブすぎるか。 いつか千本桜を聞けることを願うのが親のすべきことだと知る必要がある。 親というモノは、子を過大評価するか、過小評価するかの両極端である。 もっと中立的に「信じる」事を実践するべきか。
by unnyo8739
| 2019-01-09 11:00
| 日誌叙情駄文
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