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ときどき暇つぶしに、お絵かきライブというか、作業をライブ放送している人のそれを観に行くことがある。 と言っても、ちょっと覗いてすぐに退出する、と言うことが多いんだけど。 殆ど冷やかしに近いその行為であるが、そうなってしまうのにはきちんと理由があるのだ。 と言っても自分の中での理由であるから、結果として冷やかしになっているという事実は覆せないんだけど。 で、その理由なんだけど。 それは「絵が上手い人はその分描くのにすんごい気合いを込めているわけだが、それ故に絵が完成するのにすげえ時間がかかり、途中で飽きる」という事である。 私はかなりせっかちな人間である。 絵が完成していく様を見るのも、倍速倍速、更に倍みたいな感じで、サササーッと仕上がっていくのは好きだけれども、本当に線一本を何度も何度も引き直すような、実に当たり前の行為というものに、どうしようもなく耐性がないのである。 そりゃ私の絵心も上達しないわけだわ。 集中力って言うモノが足りないんだろうなあ、私には。 ちなみにそれはこの駄文的日記を書くのにも適用されるわけで。 大体一本の日記にかける時間は10分程度である。 一体何を書こうか、と悩むことはあるが、結局書き始めたら大抵10分程度で終わってしまうのだ。 これはある意味特技と言えなくもないかも知れないが、結局仕上がっているモノが駄文である以上、全く人に自慢できるものでもないわけで。 まあ、何というかもしかしたらこの日記を書くという行為も、実は時間と人生の浪費なのではないか? と疑問に思う事が最近ぽつぽつと思えてくるようになった。 やっぱりアレかなあ、将来よりも今を見据えていた若い頃と違って、不明な将来に不安を抱くようになる中年になると、何とも人生の勢いというモノが欠落してしまうモノなのかなあ。 ああ、世知辛い世知辛い。 でも結局若い人間も、中年も、果ては老人であったとしても、人生をより良いモノにするためには、常に行動力の化身である事が必要であると知るわけで。 何もしないというのが人生において、最も無駄ではないかと気がついた時は、大抵手遅れになってしまっているのではないかと危機感を覚える。 でもえらい人に言わせると、無駄と思える行為も、長い人生においては全く無駄ではなく、そして人生に手遅れというモノはそんなに存在しないらしい。 そうかなあ、死ぬ寸前に色々思い立ったとしたら、それは手遅れだと思うんだけど。 そもそも人生を~というよりも、人間はそれ以上に「社会生活」を生きることを優先とさせられるわけであるから。 結局偉人のありがたいお言葉というモノは、社会生活に不備がないからこそ出てくる至言に思えてならない。 「衣食足りて礼節を知る」と言う言葉こそ、社会と人生をよりよく表しているモノではないかと思う。 まあ、それはいいとして。 友人に寄稿する原稿もそろそろ手を着けないといかんよなあ、いかんいかん。 頑張らないと。
by unnyo8739
| 2018-04-10 13:00
| 日誌叙情駄文
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