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私は常に嫁にこのブログを読まれていることを前提にして駄文を書いている。 なのでここにこれから書くことは、思いつきの言葉ではなく、一考に一考を重ねた、シリアスなものである。 兎角娘は甘えん坊である。 これは一人っ子の宿命というやつなのだろうか。 加えて私の兄弟に既婚者は居らず、歳の近い親戚は長野にいるだけとなっている。 競争原理は起こらず、欲しいものは自分が独占できる環境にあるのが現状だ。 それは物品や、金銭などに限らず、所謂親からの愛情も独り占めすることが可能となっている。 故に甘えん坊となってしまうのは、環境的に致し方がないところがある。 私はあまり娘と積極的に関わらないし、娘も私とは積極的に関わらない形をとっている。 必要な時に必要なことだけをお互いが行う。 それで事足りていると自分は考えている。 が。 嫁は娘に対して過剰関与の気があるように思えてならない。 宿題しなさいとかお風呂に入りなさいとか、それは至極普通に、何処の家庭でも言われているとは予測する。 幼いころであればそれで良かったのだろう。 しかし今はもう小学校三年生、立派に自我を取得し、不満があれば文句持たれるし、遊んでばかりいたいと思うようになる。 そうなればつまり親の言うことが鬱陶しくなってくる年頃であるのだ。 確かに未だ子供であるから、だからといって放置するわけにも行かぬことは確かである。 だが、ものには限度がある。 過剰な関与はストレスになることこの上なく、そして過剰な関与を常に求めるようになれば、自らが率先して物事を行う自立という機会を奪われるのではないかと危惧を覚える。 「まだ早い、まだ早い」と考えるよりも、常に「これから少しずつ、少しずつ」と、気持ちを切り替え、一人の人間として扱っていくようにすべきが妥当ではないかと思う。 もう娘は赤ちゃんではないのだ。 そりゃあ何とも不安極まることもあるけれど、そういうものも自分で乗り越えていけるようにできているのだ。 自分たちがかつてそうであったように。 色々と痛い目を見て、そこから学習、経験を得て、1つずつ賢くなるのだ。 親心というものは、得てして、子供に苦労をさせまいと、子供の目前の道を整備したがるものである。 しかし、それではいかぬということは、自分たちの過去にあった色んな経験が証明しているのである。 もっと子供を信じて、けれど信じすぎないように調整して。 現代という割りと危険な時代を、何かが起こることを前提で物を教えて、結局何事も起こらない。 だが、そうでなければ困るのである。 何だか文章が意味不明になってきたが兎に角、そういう教育が必要なのではないだろうか。 まとめると。 あまりにも今は過保護気味だから、今は少しばかり距離を置くのがよろしいかと。 そしてルールの設定には、罰則というものも設けるべきではないかと。 ひとまずはこんなところか。 またこの県に関しては、色々深く考えることにする。
by unnyo8739
| 2017-11-10 15:00
| 娘観察日記。
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