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子供の頃はニュースを見ても、何が面白いのかさっぱりわからなかった。 それは同様に新聞もまた同じで、更に付け加えると週刊誌なんかはもう「星座占い」のページしか読まなかったほどである。 が、大人になってくると、ニュースが実に面白く感じるようになる。 世の中色んな事があるなあと、世の中色んな考え方があるなあと。 しかし最近はその面白おかしいニュースではやっていけない時代になった。 ニュースをどこかエンターテイメント気味に報じるのではなく、真実の追求という、まあ、本来の形なのか知らんけど、そういうものが求められるようになった。 「フェイクニュース」なんていう言葉が某国より出てきて、それを日本のメディアは「偽物の作られた悪意あるニュース」などと言っているが。 そのフェイクニュースって「本来の形にライターの思想やらを混ぜ込んで、真に伝えたかったことが伝わらない・伝えないニュース」のことを指しているわけで。 実際はフェイクニュースと言うよりは、独自和製英語でアレだけど、メイクニュースって言う感じなんだろうなあ。 しかし。 実際のところ本当の本当にあるべき真実なんて、そうそう伝わることなんてありえないと思う。 見る人書く人言う人全てにおいて、「自分の主観」からものを見るわけで。 偉そうにしている学者なんてその最たるもので、物凄く分析をしているように見えて、実は自分の言いたいことを、自分の主観をニュースというものを通して発しているだけで、実際は何の真実も伝えられてない。 大昔、あれってもう何年前になるのか忘れたけれど、某巨大掲示板当時管理人の「嘘を嘘だと見抜ける人でなければ掲示板を使うのは難しい」という言葉があったが。 実際のところ、嘘を見抜ける人なんてそうそういないし、大抵の人にとって真実を得ることは非常に難しいものとなっている。 先日某党が総理にお家芸のブーメランをぶちかました~って言うニュースが有ったけれど。 逆の視点から見る人から見れば、「そんな些細なこと」と、某党のやったことを問題視しないだろう。 まあ、それを問題視しない姿勢というのもまた疑われる案件なのかもしれないが、これは例え話なのでそこは気にしない。 ということで。 大人でも記者でも学者でも、全てにおいて誰も確かな真実を伝えることも、そもそも真実というものに誰も到達できていない事実において、敢えてそれを人が伝えようとするということは、「医者が人の命をどうこうしようとはおこがましいとは思わんかね~」と、ブラックジャックの一シーンであったように、真実もまた人の手にあまるものであると気がつくべきなのかもしれない。 どうせ人間は、自分の信じたいものしか信じないように出来ているのだから。
by unnyo8739
| 2017-02-28 11:00
| 日誌叙情駄文
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