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娘はそろそろ小学3年生になるわけだが、未だ自転車に補助輪がついたままである。 これは私と嫁に責任のある案件だ。 私たちが娘の自転車練習の機会を、なかなか取らなかったことが何よりの原因である。 休日となれば家でごろごろするばかり。 これは全く申し訳ない限り。 と言うことで、この日いよいよ補助輪を取り、自転車の練習を行った。 自転車の練習、これはなかなか難しいモノである。 運動神経の良い子であれば、数時間の練習で乗りこなせたりすることもあるらしいが、残念ながら娘はそれに該当する子ではない。 フラフラして、最初の一漕ぎもままならぬ。 「怖い怖い」と口にする彼女であったが、そうは言いつつも意外とやる気というか、根性的なモノはあるようで。 終始練習には積極的であった。 また近い内に、感覚を忘れてしまわないうちに練習の機会を設けようと思う。 しかし。 彼女の練習中に私自身が言った言葉なのだけれども。 「人間は頭で覚えるんじゃなくて、筋肉で覚えるんだよ」 これって真理だよなあと思う。 勉強にしても運動にしても、あるいは絵を描くことにおいて、向上や上達をするには頭で考えるより手を動かすことが手っ取り早い。 身体に覚えさせる為には、シンプルな反復練習が至高なのである。 訓練された動きというのは、脳が命令を下すより早く身体を動かすと言う。 本当かどうかは知らないが、私はその話を真実であると考える。 ……何か色々頭で考えて、沢山のことをサボってきてしまったなあ。 人生いつだって「これから」である、などとは言うが、改めて色々と考えると、やはりうちひしがれた気分になる。 私は何をやってきたんだろう、どうしてもっと色々やらなかったんだろう。 楽な方、楽な方ばかりに進んだ結果が今の自分なのだ。 そう考えると自分の無念を娘、我が子に託し、同じ過ちを踏まぬようにして欲しいと思ってしまう。 だが、それは大きな間違いだ。 自分自身の人生は他人に託すモノではない。 最初から最後まで自分が自分のために自分を動かさねばならないのだ。 別に娘に自分の失敗を伝えることも、無念を知らせることも構わない。 だが、結局道を進むのは常に当人なのである。 そして生きている限り自分自身も、常に当人なのである。 他人に言う暇があるならば、その間に自分を正すべきなのである。 最近「人生の大体は筋トレで解決できる」などという話を聞いた。 あながち間違いではない、どころか、真理なのかも知れぬ。 重たいばかりの脳みそに、余計なことを吹き込まれるよりは、一心不乱に、無心で身体を動かす方が達成への近道となるのかも知れない。
by unnyo8739
| 2016-12-05 15:00
| 日誌叙情駄文
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