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「ちょっと、もう起きてよ!いったい何時だと思ってるのさ!」 きゃんきゃんと、まだ吠えている声の主。 僕の目覚めは今日も最悪だ。 もう少し眠っていれば、至福のメインディッシュが 僕の前に差し出されるところだったのに。 「うるさいなあ…」 朝日が眩しい。やれやれ、こういうときに限って、天気がいいんだから。 頭をシーツに突っ込む。せめてメインディッシュを食べきるまでは寝かせてくれ。 もう一度ベッドの中でくすぶってる、まどろみに身を放り投げる。 眠りは至福だ、これに勝る至福なんて、そうはないだろう。 だがそれは、解き放たれた籠の鳥よろしく、剥ぎ取られたシーツと共に 空に飛び去っていった。 「うるさくて結構、早く起きてよね」 まだ仲良しこよしの、上下のまぶたを半分別れさせる。 僕の愛しいシーツを頭の上に抱え、実に小生意気な顔の彼女が僕を見下ろしていた。 肩まで伸びた黒い髪。対照的な真っ白なシャツに身を包み、 瞳の色と同じ、ブラウンのネクタイを締めている。 やれやれ、もうおめかしは終了しているのか。 「そんなにまじまじと見たって、私が美女だって事は変わらないわよ?」 そういって彼女は笑う。生意気さが四割ほど増したような気がした。 「うるさい、10年早いよ」 枕に顔をうずめる僕。タオル生地のピロケースが心地よい。 「ちょっと、起きろってば!こらーっ!」 うう、重い、背中に乗るんじゃない…。 やれやれ、生意気な娘を持つと、まったく実に父親の僕は苦労する。 十歳にしてこれなんだから、いったい今後、どんな風になっていくんだろうか。 もうメインディッシュは諦めよう、次は占い師が出てくる夢でも見ないかな。 「まだ眠そうな顔してるわよ」 「当たり前だ。眠いんだよ」 まだ意識のやつは、空の彼方で浮遊して遊んでいる。 イカリでもついてるんじゃないかと思うような、重い体を引きずって たどり着いたテーブルには、まだあったかい朝食が 早く来ないとあんたに冷めちゃうわ、と言わんばかりに怒りの湯気を 放ちながら、僕たちが来るのを待ち構えていた。 トーストに目玉焼き、サラダにコーヒー。 いつもの食卓、いつもの食事。ほんとは今日は米が食べたかったな。 「冷めないうちに食べちゃってよ」 椅子に座りながら彼女は言う。僕のほうは見ていない。 今の彼女なら、きっとこの食事たち以上の怒りの湯気を 頭より放っているに違いない。やれやれ、いい加減いつものことなんだから 少しは妥協してくれてもいいだろうに。 飛んでった意識が、匂いにつられて降りてくる感覚がよくわかる。 僕は頭をかきながら、彼女と向かいの席に座る。 彼女はやっぱり僕のほうを見ていない。ふう、ちょっとばかりご機嫌たてでもしておくか。 「おう、これはおいしそうな食事の数々だね」 「誰かさんがろくに料理も出来ないからね」 冷たく彼女は言い放った。空気が一気に冷めたような気がした。 食卓の料理すら凍えてしまうんじゃないだろうか。 料理たちにその被害が及ばないうちに、それらに手をつけることにしよう。 トーストを口に運ぶ。塗られたオレンジマーマレードが美味しい。 食事ってやつは不思議なもんだ。食うってことで、こんなに簡単に 至福を手にすることが出来るんだから。 こんな毎日。いつものように繰り返している。 これは至福な生活なんだろうか。こんな風な生活が、幸せのひとつってやつなんだろうか。 正直それに、あまり自身があるとは言えない。 こんな生活を、こんな毎日を、まったく無縁の生活を送っていた僕にとって、 今ここに流れる、緩やかな時間は、どこか絵空事のようで これならまだ、ベッドの中で見たメインディッシュのほうが、はるかに僕にとっては 現実的で、今こうやってあるこの現実が、儚い幻のようにすら感じてしまう。 このトーストも、ちょっぴりカリカリになったベーコンも、 そのくせ妙に上手に焼けてる半熟目玉焼きも、新聞の友のコーヒーも 図々しく眩しいあの太陽も。 光に包まれるているものっていうのは、どこか輪郭がぼやけていて どうしてこうも現実感がないんだろうか。 太陽の中に身をさらしている自分は、このサラダの上の、プチトマトのように、 いつか光に食われてしまうに違いない。 あの頃は、真っ暗な闇の中に自分の身を置いて、 何もないその空間の中に、確かに自分がいるっていうことを、はっきりと感じていた。 何もかもが自分の中心に存在していた。自分が在るってことが僕の全ての支え。 自分の周りに世界があるんじゃなくて、自分がその世界を創っていると思っていた。 だってそうだろう。闇の中には、形あるものは存在なんてしないのだから。 形があったとしても、それに何の意味があるというんだ。 闇というものの中では、全てが無意味なんだ。在ったとしても存在していないのと変わりない。 そんな中で、僕は唯一つ、自分が存在していると言いきれていたんだ。 だから、僕は世界の全てでいられたし、全てであるといえたんだ。 そこから時折、ほんの気まぐれに、僕以外の形あるものにちょっかいを出していた。 僕の手のひらの上で、必死に踊る姿が滑稽だったから。 そう、あの時も、あの時も、ほんの気まぐれだったんだ。
by unnyo8739
| 2005-07-05 00:15
| 僕俺私小話
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Comments(3)
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