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先月5月29日に引越しを行った私。 何だか引越しばっかりやっている気がしてならない。 5月の頭に、オフィスの引越しがあったばかりなのだ。 オフィスはさほど遠くない位置に引越しをしたのだが、 ものすごい量の荷物が出てきてしまっている。 それらを収めるための、段ボール箱が大量に必要となった。 引越しなのだから、あまりに当然の流れというものだ。 問題は、私がその生産に当たったということだ。 私の手は非常に細く繊細で、まさに白魚のような手と表現できるだろう。 そんな私が、段ボール箱をせっせこせっせこ量産していく。 知ってのとおり、段ボール箱を組み立てるという作業は、 手に痕が残ったり、はたまた傷をつけてしまったりと、非常に危険極まりない作業である。 それを黙々と続けた私は、まさに紙の所業としか言いようのないほど 素晴らしい働きをしたといえなくて、何と言えというのか。 人のために、傷を負い、血を流して働く姿は、まさに感動モノであっただろう。 まあ、誰もそんなことを思わないのが、悲しいところであるのだが。 そしてその月末。今度は自分の引越しとなった。 引越しといえど、さほど遠い場所へ移動するわけではない。 電車の移動時間で計算しても、だいたい30分ほどの場所なのだ。 加えて私は大きな荷物を持って行かない事とし、一緒に住んでいた弟に すべて残していくこととしたため、非常に身軽な引越しとなっている。 とりあえず業者に連絡をして、見積もりをしてもらう。 見積もりは肝心である。なるべくお金を使うことなく引っ越すためには 多少手間であっても、この見積もりを念入りに行わなくてはならない。 面倒くさいので、この最初に呼んだ業者に依頼する私。 自分のそういうところが可愛くてならない。 段ボール箱はすぐに用意できるということで、早速それを貰い受ける。 引越しまで、まだかなりの日数があったが、もらえる物ならば 今すぐに貰っておく方がいいだろう。多少それが邪魔になるだろうが、 この際仕方のないことだ。 ダンボールはかなりの量となり、多少所で済むレベルではなくなってしまった。 何と言ってもタンスが開かない。30センチくらいしか開くことができなくなった。 どうしよう、まだまだ日数がかなりあるというのに。 私は考えた、何かいい策はないのだろうか。 そこで、私には、共有スペースに仮置きしておくだとか、 弟の部屋に置かせてくれと頼むとか、そのような考えはまったく浮かんでこなかった。 彼の荷物は激しく彼の部屋よりあふれ、すでに共有スペースを独占しているのだ。 浮かんでこなかったと表現したが、それよりも問題外として扱われ、 除外されたというほうが正しいだろう。 ああ、なんとひどい弟なのだろうか。これほどに片づけをしない弟を憎らしく思ったことはない。 不動産問題である、土地泥棒である。ダンボールの恨みである。 開かないタンスに泣きながら、当日を待つ。 そして予定日3日ほど前。 いよいよダンボールに物を詰め始めていく。 といっても、ほぼ大抵の物を前日より、ゆっくりと梱包していったため 日用品程度のものだけを梱包すれば終了してしまうような状況である。 素晴らしきかな計画的引越し。 誇らしげにまとめた荷物を見下ろす私。 それを横から見ていた弟が一言こういった。 「その程度の荷物なら、郵便局かなんかで送ったほうが、早く送れただろうし 安く済んだんじゃないのか?」 それは衝撃だった。体に電流が流れるような、背中に水が流れていくような、 それはすさまじい衝撃だった。 水の流れも、電気の流れも恐ろしく速いものだ。 一瞬で私の全身を駆け巡っていき、私にその言葉の正しさを伝えていった。 私はこのとき、指先はおろか、髪の毛の先一本一本まで この恐るべき現実を、真実を痛感したのである。 私は、私は…。 何か言おうとしたが、それはもう言葉として発せられることはなかった。 目の前にあるのは、ほんのわずかな段ボール箱と、 それに見合わないような、素晴らしい額の記されている領収書があるのみであった。 真実を知るということは、とてもつらいことだ。 知らないこととは、何と幸せなことなのだろう。 しかし、人は真実を目にしていくことで成長をしていく。 まさに知るということこそが、人間の成長要素の必須条件なのだろう。 こういう経験をすることで、私もまた一歩上の人間に近づいていくのだろう。 でも、やっぱり納得いかねー。
by unnyo8739
| 2005-06-12 21:48
| 日誌叙情駄文
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Comments(4)
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