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娘も5歳になって、まあ以前に比べて色んな顔をするようになってきた。 怒られたときに逆ギレみたいな反応をしてみたりと、以前にはなかった反応だ。 私はそれが面白いと思う。 逆ギレされれば「何この態度!」となってしまうかもしれないが、それはあまりに短絡的だと私は考える。 これは成長の証なのだと思うべきである。 むしろ、ただ怒られて泣くだけの子よりはずっといいと考える。 私は怒るという感情をすなわち、自らの身を守る手段であると考えているからだ。 怒ることを否定するのは宜しくないと思う。 感情の否定は人格の否定である。 なので私は、あまり「泣くな怒るな」とは言わないことにした。 いや、怒ることに関しては、それよりも「怒らない優しさ」を優先して欲しいとは伝えているけどね。 優しさというのを伝えるのは難しい。 そもそも「優しさ」は感情ではないからだ。 そのうちに身につけていって欲しいが、果たしてうまくいくだろうか。 私は娘に対して怒る、と言うか叱る際に「何故」という言葉をあまり用いないように心がけている。 それは子供の行動に理由も理屈もあるわけがないと考えているからだ。 やりたいからやった。 やってみたいからやった。 これが子供の全てであると言い切っても過言ではない。多分。 そんな事柄に対し、「何故」と問い詰めても、大人が納得いく返答があるわけがない。 そもそも大人の納得という事柄が私にとっては、ただの自己満足、身勝手であると思うのだ。 納得させるべきは子供であり、大人がそれを求めるべきではない。 「何故」という言葉がむしろ、物事を伝える、教えるためにあるべき言葉であると思う。 「何故」という言葉は、子供が大人に用いるべき言葉だ。 それに応えるのが大人の責務である。 子供は大人に合わせることは出来ないが、大人は子供に合わせることが出来るのだから。 目線を同じにするには、自らが屈まなければならない。 と、言った矢先であるけれども。 娘ももう5歳。 出来れば自分で考えるという行動を身につけて欲しい。 なので私は、「質問を質問で返す」という試みを行ってみた。 それは具体的にどのようなものかというと。 「なんでコレはこうなってるの?」という問い掛けに、「どうしてだと思う?」と返すこと。 子供が考えて答えを出した後に、改めて答えを言う。 そのまま伝えていた以前に比べて、今はワンクッション。 これで考えるという力が身についてくれればいいと思うが、果たして。 自分で言うのもなんだけれども、私は過保護の気があると思う。 それは何より「子供を信頼していない」からだ。 歩けば必ず転ぶ、飯を食べれば必ずこぼす。 そういうネガティブな意味でならば、むしろ信頼しているとも言えるか。 「出来るわけがない・思い通りに行くはずがない」 常にそう深く信じている。 なので上手く物事を行えば、自然と褒める気持ちが沸いて出てくる。 これが子供に対していい事か悪いことか。 これに関しては私の性分であるので、どうしても根底から消すことは出来ないが、なるべくポジティブな信頼も出来るように頑張っている。 まあ、「それくらいやれ」とは今後も思わないだろうけれど。 それにしても。 普段クソ適当な日記を書いていたせいで、こういった形の、人に何かを伝える文章を書くのは手間だった。 そもそもが日記だから、人に伝えると考える時点でナンセンスだとは思うが。 まあ、たまにはこういうのも。
by unnyo8739
| 2014-04-01 12:20
| 娘観察日記。
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