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時々、「xx前の絵と、現在の絵の比較」みたいなイラストが出てくるんだけど、私はそれを見るのが好きだ。 普通のイラストよりも見ていて面白い。 むしろ普通のイラストってあまり興味がなかったりする。 上手いなあと思うことはあるけれど、それ以上に思うことって何かあるものなのかね。 自分も描きたいなあとか? で、「でも描き方がわからない、いい方法教えてください!」的なサイトとかいったりして。 「ここはこうすればこうこう~」と言った技術支援サイト。 んで色々描いてみるんだけど、世の中そんなに甘くないわけで。 野球したことない奴がちょっとレクチャー受けた程度で上達するなんてあり得ないのと同じ。 結局行き着くところが「無理でした」とか。 いや、全然話逸れちゃったけど。 まあ技術っていうのは基礎を学んでちまちま練習してたらそのうち上手くなる。 今すぐの結果さえ求めなければ、大体何でも上手くなるものなのだ。 それを形として見ることが出来るので、「xx前の絵と、現在の絵の比較」は面白い。 何が言いたいかって言うと。 こんなのを見つけた。 よくわかる心療内科っていう漫画の1ページ。 このセルフ・ハンディキャッピングって言う話なんだけど、結局どういう話かって言うと。 ・何故そのようにしてしまうのか→最初に言い訳しておくと、どちらの結果になっても精神的にお得。 (失敗→体調悪かったから仕方ないね 成功→体調悪かったけどできちゃった) ・でもこのセルフ・ハンディキャッピングをする人は、しない人に比べて実際に成績が悪い。 ・結論:「私バカだから」って言う人は本当にバカ。 なるほどなーって思った。 「出来る出来るやれば出来る気持ちの問題」っていうのは実は正しいことなのかもしれない。 何か私もおもむろにこのセルフ・ハンディキャッピングを行なっているように思える。 ここ最近、自分の中で悶々として、何かしたいんだけど何をしていいのかわからない状況。 これを、「体調が悪いから」「子供・家族の時間を取らねばならないから」「仕事があるから」などと、自分の都合のいい形で納得させようとしているけれどしかし。 実はそれは、私自身が「何かしたくても何も出来ない人間である」ことの証明なのではないか。 自分自身ではいくら悶々とするのを何とかしようとしても、どうしようもなく出来ないのではないか。 つまり「私ってほんとバカ」なのか。 マジか。 くそう、悔しいなあ。 認めたくないなあ、若さ故の過ちじゃないけどさ。 しかし、いくら格好をつけて出来る人間を演出しても結局何も出来なかったわけで。 素直に受け入れて、そこから一歩を始めることが人間として大事なのではないか。 人間は、投げた犀の目を操ることは出来ないが、投げるという事に関しては自らの手で行える。 つまり、起点は常に自らの手にあるということだ。 どうしても状況が良くない場合、ただ目線を変えるのではなく、思考の起点を変えることこそが真に重要なのではないか。 そのように考えられないだろうか。 と言う事で。 発想を変えて別の面から責める事で締めたいと思ったが、しかし絵を描くことだって基礎を覚えて練習してから初めて形にできるもの。 思考もまた、柔軟であるためには、沢山の状況を知らねばならないわけで。 そう簡単に色々と思いつくことは出来なかった。 あれ、この思考に行き着くところがセルフ・ハンディキャッピングなんじゃね? 螺旋。
by unnyo8739
| 2013-02-04 15:54
| 日誌叙情駄文
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