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私自身の事柄において、最も辛いこと、苦しいことといえば、間違いなく家族や友人が困難に見舞われることだろう。 これは辛い。 私で何とか出来るなら何とかしてやりたいと思う。 しかしそういった、感情的な理由で無作為に物事に首を突っ込むのはあまり良いことではない。 そういった理性と感情が拮抗する状態は、何とも言えず歯がゆい気分になる。 しかしこれは私に限らず、誰にもある事柄である。 故に、そう言った概念以外における辛いこと、苦しいことといえば。 それは何よりも退屈であることだ。 退屈っていうのは本当に苦痛だ。 私にとっては物事がうまくいかなかったり、不利益を被ったりすること以上に退屈であることのほうが辛い。 退屈に瀕する様々な理由もまた辛いものが多いが、やはり退屈そのもの以上の辛さはない。 だがよく考えてみれば、それは本当に退屈という言葉で示されるものなのだろうか。 逆に考えよう。 退屈がつらいことであるならば、退屈でないことは楽しいことと言い換えることが出来る。 では私にとって楽しいこととは何か。 それは趣味や仕事、とにかく何かに集中している瞬間や、友人らと遊んだりしている瞬間。 あるいは、飯を食う事、酒を呑むことも楽しい事といえる。 しかし中でも最も楽しいと感じるのは、やはり友人らとあるときであろう。 私は間違いなく一人で何かに没頭、集中するよりも、沢山の人間の中にあってワイワイと事を行うほうが好きである。 一人の時よりもはるかに集中することが出来る。 それは私が友人という関係を最重要として考えるからである。 が。 それってすなわち。 物凄く寂しがり屋さんという事の証明ではないかしらん。 誰かに構ってもらっている時こそが至福であり、構ってもらえない状態を退屈な状態、苦痛の状態と考えているのではないかしらん。 実に情けない仮説であるが、しかし。 どう考えても仮説とは思えない。 事実以外に他ならんだろうこれ。 私は友人と居ることが好きなのではなく、自分自身を認識して、認めてもらえる人間の中に、ぬるま湯の中に浸かりきっていることが幸せなのではないか。 なんという事だ。 私はそんな人間だったのか。 そんな寂しがり人間であり、惰弱な存在だったのか。 いやいや、何を今更。 そんなのは誰もが既知の事実であり、今更語ることではない。 いくらどうしようもなく暇だからって、わざわざそう言った確認をするなんざ、本当に暇人すぎる。 まあそうでもしないと日記の行数を稼ぐことができないのだが。 って言うか。 これも先に上げた、誰しもが同じように考え、同じように思うことの一つじゃないか。 自分自身に限った話ではない。 そもそもこれを否定するということは、世の中仙人みたいに達観した人間しかいないということで、実につまらない事この上ない。 人間は、ヘタレであるから美しい。 厨二病の時に気が付かなかったか? そんなことより私にとっても最も辛いこと。 それは運動しようとは思うものの、それ以上に面倒くさいという気持ちが強く、ダイエットやら何やらを勧められるも、まるで行動しないことだ。 運動嫌いなんじゃよー。 でもこのままだと身体が石になっちゃう。 嫌だけどやるしか無いのか。 しかしやる気のない状態で物事を始めても、いい結果を得られるとは思えないんだよなあ。 でもやらないと…うーん…。 以下ループ。
by unnyo8739
| 2012-01-12 16:10
| 日誌叙情駄文
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