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ブログとかで日記を書いて、プライベートの出来事を晒す行為って言うのは、すなわち自分の恥を切売りしているわけで、一言で言うと恥知らずな人間と言い切ることが出来るかも知れない。 つまり私は恥知らずな人間ということだ。 いや、流石にこれは極論かな、と思った瞬間、自らの犯罪自慢やら何やらをする輩のことを思い出し、やはり間違っていないのではないかと再確認する。 残念ながら私は自慢できる犯罪歴などはないと言い切れるので、それらのような余計な恥を晒すことはないだろうが、もしかしたら犯罪ではなくとも、誰かしらを不本意にも不快にさせてしまうことはあり得るので気をつけねばならない。 さて。 私は愛媛の糞大都会から東京へと行き、そこでまあ適当に勉強したり遊んだりした後愛媛に戻り、その後また東京にて仕事をするといった感じの人生を歩んできたわけなんだけれども。 流石の私も東京へ出たての頃は、特にこれといった友人もおらず、また性格も半分やさぐれ、厨二病が抜けきっておらず、あまり良い人間であるとは言えなかった。 まあ今もそんなにいい人間であるとは言えないんだけれど。 まあ。 何と言うか、この学生時代とか、社会人成り立て時代とかはどうしようもないエピソードばかりで、思い返すたびに死にたくなる。 大体の人が私のそんなエピソードなんて忘れているか、あるいはどうでもいいこととして処理しているのかも知れない。 しかし私の脳の内部に収められた、どう仕様も無い記憶は消したくても消えることはない。 記憶だけで済むならまだ良いが、過ぎ去ったエピソードもまた消しようがないのである。 人生初のオフ会とかで、うっかり普段作業している際に使っているバンダナを持って行ってしまったこととかは、もう悶絶を通り越して自殺したくなるエピソードだ。 隠しておけばいいものを、うっかり見つかったか、あるいは自ら出してきたのか、記憶は曖昧だが、兎に角それをそのまま着用してしまったことなど、もう死にたい。 あと、今は全く接点の無い女の子ではあるが、その子に適当なことを言っていたら、所謂誘われた状態になったにも関わらずスルーしたこととかも死にたい。 くそ、あの頃の私の脳に今の私の脳と記憶と性格を用いればおいしい思いが出来たかも知れないのに。 ネトゲやってた頃の仲間と、どうでもいいくだらなすぎることで喧嘩別れしたことも後悔している。 友情は得難く失いやすい。そんな基本すら忘れて、感情のままに振り切ったあの頃とか、出来るならタイムマシンか何かで戻って殴り飛ばしてやりたいほどだ。 ああ、思い返せば返すほどに色んなエピソードがある。 どれも死にたくなるレベルだ。 だが、それらがあったからこそ今の自分があるのかと思えば、それもまた良かったことなのかも知れない。 けどやっぱり死にたい。 他人から見れば本当にどうでもいいことばかりなんだろうけどさ。 まあ。 今現在はもう黒歴史になるようなことは経験していないといえば嘘になるんだけれど。 ただ、あの頃と違って「死ぬほど恥ずかしい」と思わなくなっただけのことかも知れないが。 そう言えば小学生の頃とかはあまり「恥ずかしい」と思えるようなことがなかったような気がする。 そりゃそれなりの馬鹿馬鹿しいエピソードはあるように思えるけど。 これはある程度大人になって、自分の行動を恥ずかしいと思えるようになったからこそなのか。 成長とはこのようなものなのか。 しかし。 何が一番あれかっていうと、現在進行形のこのブログこそ最大の黒歴史ノートなのではないだろうか。 いや、なのだろうか、じゃなくて実際そうにしか思えなくなってきた。 ほぼ毎日黒歴史進行中とか、私ってもしかしたら物凄いことをやっているのかしら。 そしてそれを「面白いからいいや」と思ってしまう私は、もしかしたら駄目な方に突き進んでいるのかも知れない。 いっそやめてしまうべきか? だが、それを見て誰かが面白いと思ってくれるなら。 やはりこれは続けるべきことなのだと確信する。
by unnyo8739
| 2011-03-09 11:47
| 日誌叙情駄文
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