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ここ数日、色々と考えなければならないことがありすぎて思考がまとまらない。 いっそ全てぶちまけてしまえばいいのかも知れないが、それはできない。 私個人のことならいくらでもぶちまけることが出来るのだが、これは私個人の事ではないからだ。 例えば会社の話だったり、嫁とか娘の話だったり、あとは政治とか経済の話だったりと、まあ私がどうやってもどうにもならないことばかりなのである。 個人で出来る事だったら即座に行動するんだけどなあ。 世の中私がいくら息巻いてもどうしようもないことばかりなんだよなあ。 考えないようにしても考えなければどうにもならないしさ。 ああ、欝だ欝だ。 個人のできることは所詮限られているんだろうけれど、それでも世の中を動かしている個人だって居ないわけではないはずで。 ならばどうすればその、世の中を動かせたりするような大きな個人になれるだろう。 勉強すればそうなれるだろうか、お金を稼げばそうなれるだろうか。 ああ、いっそ神になりたい。 と、なんだか色々悶々とするうちに「神になりたい」とか思ってしまったわけなんだけれども。 これって漫画とかだと悪者の発想なわけで。 世界を支配したいとかそう言う考えの究極が神になりたいと言う思考なんだと思うが。 しかし私は思った。 神になって全てを支配したいと思う人は、結局世の中をもっとよくしようとして、だけれどもそれが出来なくて絶望して、とそんなきっかけから始まっているのではないか。 つまり神になりたい人の根本は善人なのではないかと仮定してみる。 それも誰かのために平気で自分を犠牲にできるタイプの善人だ。 「あの人を幸せにするために俺が頑張る」と言う思考が根本の善人だ。 もう、見てる他人がどん引きするくらい頑張っちゃう。 凄く凄く頑張っちゃう。 でも世の中は頑張ったら頑張った分だけ認めてもらえるとか救われる、とかそんな風に甘くはないわけで。 頑張っても頑張ってもどうしようもない結果になることだってある、というか大抵がそうなり得るだろう。 だから絶望する。 絶望して、世の中に逆恨みしちゃう。 世界が自分の頑張りを認めてくれないのなら、自分の頑張りを認めさせる世界を作ろうと画策しちゃう。 それが良い世界なのか、悪い世界なのかはこの時点では分からない。 でもその人個人の頑張りだけが認められる世界は、すなわち独裁のそれに近くなるわけで。 その結果として、所謂正義の味方的な人に成敗を受けてしまうわけなんだけれども、しかし。 例えその形が独裁であったとしても、それが善政であったのならばどうだろう。 人間は、自分が力を得ようと頑張る人ばかりでなく、力のあるものの下にいることで安心を得るようなタイプの人もいるわけで。 例え多少の不自由があったとしても、その生活が保証されるのであれば、それは良いことなのではないか。 そう考える人も確実に存在するだろう。 となれば、彼らから視る正義の味方的存在は、ただの犯罪者のようなものであり、例えどのような形であれ、成り立っている世界の破壊者でしかない。 果たして正義はどちらにあるのか。 いや、話が大幅にそれたんだけれど。 世界を支配したい人は、すなわち。 欲望にまみれた自己中心的な存在ばかりではないのではないかと言うことを言いたいわけで。 誰かを幸せにするために、世界の全てを手に入れようとするならば、それは善人なのか、それとも身勝手で独善的な幸福を押し付けようとする悪人なのか。 そんな事を無駄に考えたりする深夜。 間違いなく私は暇人だ。
by unnyo8739
| 2011-01-25 11:22
| 日誌叙情駄文
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