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父が還暦を迎えた。 気がつけば父も60歳か。 そりゃ私も歳を取るはずだ。 何か違う気もするが、細かい事を気にしてはいけない。 そんなわけで親戚を集めてのお祝いを行ったのだけれども。 親族の中では私が一番最初に子供を儲けたようであり、娘を連れて行くと、父が主役であるはずなのだが皆娘に目が行ってしまう。 まあ父自身も娘、いや孫へと目を向けているわけだから別に問題はないんだろうけれど。 それはそれでつつがなくお祝いは終わり、後日。 父と妹からこの様な顰蹙を買う。 「娘は人見知りしすぎ、何とかするべき」 父と娘は性格がそっくりである事から、両人から全く同じ内容の話を聞いたときは、改めて「親子なんだなあ」などと思ったが、それは置いておいて。 確かに娘はかなりの人見知りをする子である。 知らない人に声をかけられたら、物の数十秒で激しく泣き出してしまう。 しかしこれは別に、問題のある行動ではないのだ。 赤子とは6ヶ月から12ヶ月の間に激しく人見知りを始めるものなのである。 その子の個性とか育て方とかそう言う物でも何でもなく、生物の特徴として人見知りは起こる物なのである。 必然なのである。 何ら心配する事など無いのだ。 人見知りの起こる原因として、自我の目覚めだの、他者の観察だのまあ何か色々あるんだけれど、その辺は適当に調べてみると良い。 医者に相談すれば「成長の過程で起こる一過性の事柄」と気にしないよう努めるよう言われるだけである。 重ねて言う。 人見知りはほぼ絶対的に起こりうる成長の証であり、育て方が悪いとか環境が悪いとかそういう問題によって引き起こる物ではない。 例外として元々人の出入りが多い家の赤子は、それほど人見知りしない事もあるようだが、先にも述べたとおりこれは例外である。 どうしても人見知りが気になると言う事で、保育園だの何だのに預ける人もいたりする。 それによって人見知りが改善される場合もあるらしい。 しかし、これは私個人の考え方に過ぎないが、それは間違っていると思う。 人見知りは子供と親の愛情が深まっている証である。 これからゆっくりと他人への接し方を学んでいく時期なのである。 そんな時期に「今の状態だとまずいから」と、自ら赤子と離れるような事をすれば、その子は人間不信に陥りかねないのだ。 捨てられた、と感じている子供がどのように成長するか。 それは想像するに難くない。 知らないけどきっとそう、でも説得力は感じるだろう。 私は男親であり、母親とは全く別の生物である。 感じる苦労は母親の半分にも満たないかも知れない。 故に私が子育てについて語る事など、他人事を語るかのように聞こえるかも知れないし、無責任と一蹴されるかも知れない。 そんな私でも子育てについて言葉を発する事を許されるなら、私はこの一言を述べよう。 「子育ては忍耐である」 愛情とは常に与える物であり、自らが望んで受け取る代物ではない。 他人から愛情を望むような人間は、人を愛する事も愛される事もうまく行えなくなる。 それはとても哀しい事だ。 子供が可愛いと思うのは、愛情を与えているからである。 子供に癒されるというのも、愛情を与えているが為だ。 しかし、赤子はまだ愛情の受け取り方を知らない。 その為に色々と苦労をする事もあるだろう。 どうしてこの子は泣きやんでくれないの、だとか、眠ってくれないのだとか。 だが、愛情の受け取り方は、人に教わる物ではないのだ。 自らが開拓していかねばならぬ事なのだ。 それを全く無の状態から始めなければならない赤子は、実に過酷な状況から始めなければならないのである。 愛情を押しつけるのではなく、どうやればその子が受け止めてくれるか、それを模索しながら子供と接していかねばならない。 そして、正しく愛情の受け止め方を学んだ子供は、とても情の深い子として成長していくだろう。 今ある苦労は未来への先行投資なのである。 例え辛くても、10年先の為に、20年先の為に、自らが彼岸へと旅立つ時の為に、愛情は常に投資していかねばならないのだ。 それはそれでいいとして。 モデルガンが欲しい。 ヤフオクで見つけた12,000円の代物。 でもそれを買う位ならPS3とか買えちゃうわけで。 そしてPS3買うなら他に欲しい物が多々あったりするわけで。 クソッ! 何てこった!
by unnyo8739
| 2010-03-01 13:34
| 娘観察日記。
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