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私は実に飽きっぽい。 飽きっぽい飽きっぽいとか言いながら、何だかんだ長い事絵を描いたり日記を書いたりしているが、しかし。 向上する意識、と言うモノを中々保つ事が出来ない。 故に、「好きこそものの上手なれ」とか「継続は力なり」とか言う言葉がある。 簡単に言うと「続けてやってりゃそのうち上手くなる」とかそんな感じの意味だ。 勿論正しく意味を持ってくれば別の解釈も出てくるのだろうけれど、とりあえず「続けてれば上手くなる」という言葉が欲しいだけなのでその辺は割愛する。 本当に上手くなりたいと思うのであれば、常に磨くのは技術でなく、必要なのは情熱だ。 ただただだらだらと続けているだけ、というのはただの自己満足、趣味の世界でしか成り立たない。 心の底から上手くなりたい人間は情熱を持って物事に接しなければならない。 残念な事に今の私にその情熱はない。 一時期絵をもっと上手く描きたい、とか綺麗な文章を書きたい、とか思った事もあったが、しかし。 目先にある技術や何某ばかり追いかけて、本当に必要な情熱というモノを蔑ろにしてしまった。 寄り道ばかりして、本気で取り組むと言う事をしなかった。 その結果が現在の中途半端な存在である。 自分で言ってちょっと泣ける。 今からでも遅くはない、とか考える事もある。 実際いつだって遅くはないのだろう。 情熱を飽くことなく保ち続ける力があれば、きっとそのうち実を結ぶのだと信じておきたい。 しかし私の目先には大きな現実がある。 娘や嫁、家族を支える為に、趣味は趣味で切り捨てて、もっと色々と磨かなければならない事がある。 なるほど、夢というのはいつだって現実によって崩されていくモノなのだなと思う。 この思考を「現実のせいにして自分から夢を投げ捨てた」などという言葉を考えるのならそれは確かに正しいかもしれない。 けれど人間、飯を食わなければ死ぬのだ。 ああ、でもしかし。 私も冷めた人間になったなあ。 こんな事、例え気が付いても言いたくなかったのに。 今からでも自分も頑張って、それがただの自己満足であっても、最大の自己満足として得られるのなら、それはとても良い事だ、と言いたいのに。 いや、本当に。 私もこんな事言いたくないし認めたくない。 現実は厳しいけど、それでもやりたい事くらい好きなようにやればいいのだ、って言いたい。 今からでも訂正したい。 でも、もしかしたら全くあり得ない前提条件かも知れないけど、娘がこれを読むとしたとき、やたら「頑張れ」とか言う言葉だけの日記にしたくないと思ったのだ。 やりたい事をやるのは、実は一番難しくて、一番大変な事なんだぜ、的な事を言っておきたいのだ。 いつだって人間現実と隣り合わせに生きてるのだと、ニヒリズムに浸りたいのだ。 私の自己満足の為に。 あれ? うん。 もうね、本当にやりたい事をやりたいのなら、物事を上手にこなしたいのなら、常に情熱を持って行うべきだ。 技術とかそんなモノを追いかけるのは後からでも大丈夫。 好きこそものの上手なりたくば、常に挑戦を継続することが力になる。 挑戦するためには情熱が必要だ。 自分を諦めて、飽きたと言う言葉でごまかすような人間に未来はない。 私がその末路だ。 中途半端な私がごまかしを続けた人間の見本だ。 挑戦する事は苦しい。 自分の技量の足りなさ故に投げ出したくなる事もあるかもしれない。 でも世の中の全てを修めてから、完璧な存在になってから物事に挑戦する、何てことは人間には出来ないのだ。 常に未熟な状態で物事に挑まなければならないのだ。 故に必要なのは、何でも途中で諦めたりしない強い情熱なのだ。 畜生。 それにしても。 一歳にも満たない娘の為と言う事で、これだけ馬鹿な事を書いていられる私って相当な親ばかなのかしら。 別に気にしないけど。
by unnyo8739
| 2009-10-02 20:36
| 日誌叙情駄文
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