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黒歴史という言葉を作り出したターンエーガンダムは偉大だ。 ていうか、富野が偉大なのか? 先日、と言っても結構前。 盆の頃に田舎に帰ったときの事。 高校だかの卒業文集(?)みたいなのを見つけた。 それを見た瞬間自分が何を描いていたかを思い出す事が出来たんだけれども、案の定確認してみたら自分の記憶通りの事が書かれていた。 何が書いてあったかというと。 敢えて何も書いていなかった。 とりあえず自分の名前だけ書いて、後は線を引いて終了。 特記事項無し。 何かそんな感じ。 記憶をさかのぼってみる。 当時の私はどこか冷めた人間であったと思う、多分。 もう10年以上前だから微妙に記憶が美化されたり違う解釈がされてそうで、正確な当時の自分を再現する事は出来ないのだけれども、まあ大体そんな感じだったと思う。 もうね、体育祭とか文化祭とかああいうイベントとか大嫌いだったし。 面倒くさくて。 主に面倒くさくて。 私はそんな感じで、冷めたというかダレた人間だったと思うんだけど、何でか知らないけどああいうのにやたら張り切る連中というのが居て。 主に体育会系。 何なの、青春なの、馬鹿なの、死ぬの? 今の私もそうなのかも知れないけれど、当時の私は彼らの思考が一切分からなかった。 分かろうともしなかったし、分かる気もなかったけど。 そんな彼らに、私が先に書いたような何も書いてない文集を提出した際やたら絡んできた覚えがある。 まあ私が悪いんだけどね。 ああいうのは流石に無いわーって今の自分で思うくらいだし。 当時の私は何を考えていたのだろう。 斜に構えて、青春とか明るい高校生活とかねーよ、とか言った感じで自分の足跡を残したくなかったんだろうか。 そう言えば写真とかも撮られるのが大嫌いで、これは今も嫌いなんだけれど、集合写真から敢えて逃げまくるというそんな行動をしてた覚えがある。 まあ全員集合写真の時は参加したようだが。 端っこに丸い別の写真で参加するのは流石に嫌だったらしい。 そんな感じで、まあ世の中に対して斜に構えた冷めた人間ぽかった私だが、今じゃこうやって大体5年近く日記を公開していたりするんだから世の中は変わっていくのだなと実感せざるを得ない。 人間本当に色々変わっていくモノだ。 自分の中に渦巻く不満も愚痴もコミュニケーションツールの一環と思えるようになっているし、失敗は日記のネタ程度にしか考えていない今の自分。 当時の私からは考えられない変化なんじゃないだろうか。 流石に自分の恥をどんどん人に晒していきたいとか思っている自分もどうかと思うんだけれど。 だって面白いじゃない。 大抵自己完結だけど。 でもきっと、当時の自分を知る人間からすれば、私はきっとあまり変わっていないんだろうなあ、等と思う。 自分では自分がかなり変化しているように感じるけれど、それは結局自分が自分を見たイメージに過ぎないわけで。 きっと他の人の中にある私のイメージというのは何も変わっていないままで、そのまま墓まで持って行かれるのだと思う。 だからどうと言う事はないのだけれど、何かのきっかけで私について私の知らない所で語られる際、変なイメージを持たれるのは流石にちょっと嫌かな、と思う自分が居る。 どうせなら良いイメージを持たれるように努めるべきか。 しかしそれもどうでもいいやと思ってしまう辺り、私はかなり自分さえ避ければ良いという自己中心、自己完結型人間なのだと思う。
by unnyo8739
| 2009-09-17 17:46
| 日誌叙情駄文
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