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私は結構麻雀が好きだったりする。 と言っても色々戦略を立てたりすることは出来ない。 ただ単純に、ゲームとしての麻雀が好きなのだ。 ていうか、ぶっちゃけ麻雀じゃなくてトランプを使ったゲームでも何でもいいかなと思う辺り、要はきっと、誰かと一緒にゲームで勝負する、と言うことが好きなんだと思う。 でもジャンケンは嫌い。 あっという間に勝負がつくし、何か不条理を感じるから。 実力を出し切れないまま終わる感じがして。 そんなわけで盆は友人のWの所へ遊びに行った。 正確に言うと里帰りのついでに遊びに行った。 家族の団らん放り出してまで友人宅に行く私。 いい年扱いて。 でも、凄く久々だったし、こんな機会でも無ければ中々会うことが出来ないわけで、その辺は家族も先祖も笑って許してくれるだろう。 でも私の娘が同じ事をしたら、私はきっと物凄く嫌な顔をするだろうなとは思うんだけど。 娘じゃなくて男だったら結構ほっぽり出しても平気だった気がするんだけどな。 紆余曲折、墓参りやら親戚らに顔見せに行ってやらして夜。 ようやく友人のWの家に遊びに行くことが出来た。 別に小さい子じゃないんだから「早く遊びに行きたいお;;」と泣きわめくようなことはしないけれど、それでも多少そわそわした感情があったことは否定できない。 何だかんだ私もまだあの頃の少年のままなんだなとしみじみ思う。 いや、それじゃちょっとまずいと思える年代になってきてるんだけど。 彼の家に着いてまず、Wとの親父さんお母さんらに挨拶をすませる。 彼らの目に映る私は一体どのように見えているのだろう。 立派な青年にはなりきれてないというのが自分への評価であるのだけれど、それでもおじさん達はやはり「立派になった」とか思ってくれたりするんだろうか。 あるいは「ちっとも変わってないな」と呆れたりしているのだろうか。 少なくとも「また来やがった」とだけは思われたくはない。 流石にそのように思われる真似なんてしないけれど。 いや、してるのかなあ。色々と。 まあいいや。 しかしこの辺の心情を察する所って、友人の親父さん達じゃなくて、自分の親戚辺りからとるべきところだよな。 で、しばらく二人でだらだらと話をしていたら、どうやら後二人程彼の友人が来るらしい。 私とは当然面識はない。 面識はないが、しかし全く気にならない。 それは友人Wが連れてくる友人にそんなに悪い人は居ないとかそんなレベルでの事ではなく、私自身が別に誰が来ようとどうでも良いと思っている辺りに起因する。 誰が来ても私は私という人間であるわけで、特に緊張してみたり不快を感じたりするような事は全くない。 私の娘は現在非常に人見知りが激しいらしいが、私は大人なのだ。年齢だけは。 しかしもう一ヶ月も娘は私の顔も声も聞いてない。 もう私のことを忘れてるんじゃないだろうか。 非常に不安だ。 それはそれで良いとして。 結局私とWを含めて計4人のいいおっさんが集まったわけだが。 何をやっていたかというと、ひたすらドラクエ。 大人も子供もお姉さんも、っていうキャッチフレーズは一体何のモノだったか。 よくもまあいい大人が集まってひたすらゲームに熱中できるモノだ。 と、ネトゲをプレイしていた過去のある私は口が裂けても言えないわけだが、でもちょっぴりだけそう思った。 神戸では思わなかったのになあ。 その辺がやはり一緒にいる友人らのもつ気質の差なのだろうか。 いや、別にWにカリスマが無いわけではない。 むしろ彼の方が人を惹きつけるという意味では高いカリスマを持ち得ていると言えるだろう。 良く分からんのだけれども、何処に行っても大抵どん底に落ちることのない、それが私の腐れ縁、友人Wなのだ。 日頃の行いはそんなに良くなさそうなのになあ。 案の定15分もした後には軽口をたたき合う程まで打ち解けていた。 打ち解けていたと思う。こういうことを自分で言うのは非常に抵抗があるんだけれど、それでもそうであると言いたい。 私はあまり大したモノを持っている人間ではないが、友人だけは東京から大阪まで幅広く、胸を張って自慢できる位の良い馬鹿揃いだ。 娘も同じようにいつまでも馬鹿なことを言い合える友人を持って欲しいモノだと思うが、男と女では同じ友人という言葉でも意味が変わってくる気がしてならないのが何とも言えない。 蔑視発言になるかも知れないが、男よりも女は自分の愛に生きる生き物なのだ。 まあそれはそれとして。 いつまでもドラクエばかりやっているのもなんだったので、適当な所で麻雀をやろうと切り出す。 私的にはドラクエよりも麻雀の方が目的だったのだ。 だって好きなんだもの。あの牌を持つ感触が。牌を打つ感触が。 弱いんだけどね。 と思ったら。 何か知らないが2位に落ち着いてしまった。 私の予想では最下位辺りになってまた食事でもおごるかーとかそんな予定だったのに。 これだからゲームというのは分からない。 サイは投げられた、と言う言葉があるけれど、私はあまり好きな言葉ではない。 なるようにしかならないという意味にしか取れないからだ。 それは実際心理の一つなんだろうけれども、私はサイを投げるのはきっかけに過ぎず、後は運と思考、先述戦略、行動を伴う事によってこそ真の結果に辿り着くのだと信じている。 必死になってこそ納得が生まれるのだ。 世の中結果よりも納得の方が重要であるように思える。 まあ、何処ぞの漫画の受け売りなんだけれど。 結局友人宅には2日程泊まっていった。 盆なのになあ。 彼の親戚とか色々来てる中で物凄くだらだらしている私は一体どんな風に見られていたんだろう。 別に気にならないけれど、一応気にしておかないと体面というのが無いので仕方ない。 大人になると色々気にしなければならないモノなのだなと常々思う。 そしていよいよ帰ると言う日になった早朝。 一本の電話が私にかかってきた。 「親戚のおじさんが亡くなったから」 まさか盆の終わりにこんなオチがつくなんて。 いや、死者をオチ扱いするのは確かにどうかなと思うけれど、まあその辺は。 まあ、友人と楽しんでいる間に亡くなった、という話にならなかっただけ良しとするべきか。 死者を冒涜するような言いぐさにも聞こえるかもしれないが、それが素直な感想なんだから仕方ない。 しかし。 まあ人間色々あるモノだねえ。
by unnyo8739
| 2009-09-01 18:51
| 日誌叙情駄文
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Comments(2)
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