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両親が言うには、私は子供の頃よく魚の図鑑を見て喜んでいたらしい。 他にも色々と図鑑があったのにも関わらず、何故か魚がお気に入りだったんだそうだ。 私自身にはもう薄らいでの記憶しかないため、実際にそうであったのかは分からないのだけれども、図鑑を見るのが好きだった、という事実に関しては、確かにその通りであったと思う。 絵本はどうだっただろう。 私はほとんど読んだ記憶がない。 ぶっちゃけると家に絵本があったかどうかの記憶すらあやふやだ。 実際はやたらに読みまくったが故にぼろぼろになってしまい、現存してないだけであるらしいのだが全く覚えがない。 まあ記憶はあやふやであるが、私は子供の頃、実に本の好きな子供であったようだ。 そして時は流れ、今度は私にも子供が出来てしまったわけで。 となるとやはり絵本とか図鑑が必要になってくるのか知らんと思ってきたわけである。 何と言っても絵本も図鑑も想像力を養うのに実に良いモノであるし。 それは実に私自身が証明しているし。 と言いたかったが、今現在の自分を見ていると、妄想力はそれなりにあるのかもしれないが、発想力や想像力が豊かであるかというと実に怪しかったりする。 まあとにかく、子供の心の成長を促すにおいて、図鑑だの絵本だのは必須のアイテムとなる事は間違いないだろう。 私の友人の漫画描きの人も、やはり子供の頃は図鑑に張り付いて離れなかったと言うし。 それに加えて音楽を与えれば、まず間違いなく芸術方面に強い子供に成長してくれるに違いない。 どうなるか分からないけどきっとそう。 でも芸術方面に力を伸ばしても、芸術で飯を食うのは非常に難しい上に、芸術を学ぶための必要経費は通常子供にかかるお金の2~3倍ほどになると言う。 芸術よりももっと地に足ついた何某を身につけさせるのがベストなのだろうか。 でも私も嫁も、どちらかというと浪漫や妄想に身を捧げた人間であるが故に、地に足ついた何某というモノがどのようなものであるかとか、どうやって身につけさせればいいのかがまるで分からない。 よく子供の頃から英語教室だとか何だとかに通わせてたりする人がいるんだけれど、あれって本当に赤子の頃であるとか、あるいは英語の授業自体に物凄い興味のある子供でないと、いくら脳が色々記憶しやすいとか言ってもまるで頭に入らないのではないかと私は思う。 子供の頭を成長させるのは、何よりも好奇心であると思うし。 興味がないモノを必死にやらせようとしてもむしろ逆効果であり、嫌な思い出でしか無くなってしまったら、もうその後は一切勉強しようとしても頭に入っていかない事は間違いない。 教育に力を入れるのならば、親に必要なのは「子供に興味を持たせる」事であり、「子供に勉強させる」事ではない。 そして某海軍の人のように、「やってみせ、やらせてみせ、褒めてやらねば人は動かん」を実戦していくしかないと思う。 特に、「褒める」と言う事は実に重要であり、それを怠ると、何をやっても無気力な人間になってしまう事はまず間違いない。 私がそうであるし。 とは言え。 いくら自分の子供とは言え、子供の人生は子供のモノである。 ある程度保護する事は不可欠であるが、関わりすぎればその子のトラウマ的存在となりかねない。 甘やかすのも叱るのも、やり過ぎれば毒でしかないのだ。 まあ。 まだ生後1ヶ月と経っていない状態でこんな心配をしても仕方ないと何度も自分に言い聞かせてはいるのだが、なかなかどうして親というモノは色々と考えてしまうものなのだ。 「自分の人生なんだから好きなように生きたっていいじゃない」 とか言う少年少女ども。 親になったら自分の人生以上に我が子の人生を華あるものにしてやりたいと思うようになるモノだ。 おまいらみたいな糞餓鬼には20年ほど早い説教であるけれど、それでもそういうものであると知れ。 まあ、自分も何だかんだと言って、親に心配されている子供の一人であるのですけれどね。
by unnyo8739
| 2009-02-16 15:47
| 日誌叙情駄文
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