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最近の子供じゃねえ、あんたの子供だよ。 しかし。 何年経っても同じ台詞が繰り返されているわけだが、 自分たちと比べても意味が無い事にいい加減気がついても良さそうな気がするが。 時代背景がまるで違うのだ。 携帯電話のない時代の人が、 携帯電話で話す人を指してグチグチ言ってもどうしようもないのだ。 っていうか、そんな知った顔の人が若い頃には、 同様に「最近の若い者は」と言われていた事実に釈明をして欲しい物だ。 まあそんな事はどうでもいいんだけれども。 これから私に、私と全く違う時代背景を生きなければならない存在が生まれるわけで。 しかもそれを正しく導いていかねばならないのは、当の私とその嫁なわけで。 世界に当たり散らしていた私が、今度は同様に当たり散らすだろう若輩を、 正しく丸め込んでいかねばならないというのだから、果たしてどうしたものか。 子供を導くという事は果たしてどうなのか。 彼らはきっと必ず確実に、「俺は我が道を行っている」と考える。 子供は親に導かれた覚えなど無いのだ。 むしろ口喧しくあれこれ指図をする親を煩わしくすら思っている。 子が親の心に気がつくのは、彼らが大人になって、しばらくの時期が必要となる。 親の心子知らず、等と言うが、親がいくら自分の心を子供に訴えても、 彼らはそれを簡単には受け入れないのである。 確かに人生は自分自身で学び得ていく物だ。 しかしよくよく考えれば、その影に数多の人の指導の声があった事に気がつかねばならない。 だが、子供が子供であるうちは、それにどうやっても気がつく事が出来ない。 だから子供と呼ばれるのだろうけれども。 逆に相当に若いうちから心を察して貰うというのも非常に問題があるように思う。 それが自立を促すという方向に向かうのであればともかく、 互いに依存し合う関係に陥ったりしてしまえばそれは最悪だ。 どちらかがどちらかにべったりという関係はあってはならない。 幼少の時期ならばともかく、ある程度の年齢に達してもそれに値するのであれば、 それは問題であると言わざるを得ない。 親と子の距離をどうとるかは非常に難しい。 これらをどのように解決するか。 それは子供の質にもよるだろうが、やはり沢山の人に会うと言う事が重要であると思う。 対話が出来ると言う事は、コミュニケーションの基本が出来ていると言う事だ。 基本を学ばせるためにもなるべく沢山の対話を経験させるべきであると思うがどうか。 しかし子供というのは未知の存在に対して非常に敏感だ。 知らない人は怖いのだ。怖い物には近づかないのだ。 己を守る防衛本能であるそれが、人との関係を自ら絶ってしまう事になり得ないだろうか。 自分の世界にのみ引きこもると言う事は、それはそれで高い想像力を生み出す要因とも 成り得そうな事柄ではあるが、社会という存在に順応せねばならないこの世界では、 あまりに自分の世界に引きこもって貰う事も困る話だ。 僅かの関係だけで成り立つ小さな社会であるならば楽だろう。 しかし社会は無駄に広いのである。 とりあえず。 生まれる前からこんな風にだらだらと考えている当たり、 親馬鹿であると自ら暴露しているようなものなのだが、 果たして実際にその場に立ったときに、これらの言葉に基づいて、 私が行動を取れるかどうかは非常に疑問だ。 何だかんだ親という存在ではなく、私個人という形で接してしまいそうで怖い。 感情をすぐにむき出し、ぶつけてくる親というのは、 ある意味で良く、ある意味で悪い。 調和が大切なのだ。子供を導くと言う事はすなわち自分を導くと言う事に他ならない。 そろそろ心音とか聞こえてくるんだろうか。
by unnyo8739
| 2008-06-10 16:10
| 日誌叙情駄文
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