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死後の世界なんて無いと思っていたんだが、どうやらそういうわけでもないらしい。 何故そんなことが言えるかというと、俺はつい先ほど交通事故で死んだばかりなのだ。 車が飛び出してきた瞬間の映像がまだ頭の中に残っている。 いや、死んでしまった今、頭の中という言葉は正しくないか。 何処に記憶されているのか分からないが、とにかく記憶している。 気がついたとき、俺は血まみれになった自分の身体を見ていた。 R-18に指定されそうなくらいに俺の身体はぼろぼろだった。 一目にもう駄目だというのが分かる。ぶつかってきた車の運転手は、 まさに茫然自失という感じで、生気のない瞳で俺の身体を見つめていた。 これから彼は保障やら何やらで大変なのだろうなあと考えると、 大変気の毒に思えてきたが、俺にはもうどうすることも出来ない。 しかし、次の瞬間には彼のことなどどうでも良くなっていた。 人間が死んだらどうなるか、その疑問に対する答えを、この身で体験しているのだ。 とても感動した。俺は酷い肩こり症で、 左の腕などまっすぐ上にのばすことすら出来なかったのだが、 死んでしまった今、全くその痛みは見受けられない。 むしろとても身体が軽いのだ。ふわふわと浮いているような感覚。 まるで飛んでいるかのような感覚である。 生きていては絶対に体験することは出来ないだろう。 しばらくその余韻に浸っていたが、そのうちにこの感動を誰かに伝えようと思い立った。 まずは誰に伝えようか。考えた末、親友のKに伝えることにした。 Kの家まではこの場所から相当遠かったのだが、恐ろしい速度で飛べるモノだから、 あっという間にKの家へと到着した。Kはベッドに寝ころんでテレビを見ていた。 何を見ているか知らないが、そんなことなどどうでもいい。 「おい、俺を見てくれ。こんな愉快な身体になったぞ」 俺はKの目の前に立って、大声を張り上げた。 しかしKはまるで俺に気がついていないようだ。何事もないかのようにテレビに見入っている。 「おい、無視するんじゃねえよ!」 俺は乱暴にKの肩を掴んでみた。けれどもKは気がつかない。 それもそのはずだ。俺がいくらKに触れようとしても、一向にすり抜けてしまうのである。 俺は焦った。何とかして気がついて欲しいと思い、声がかれるほどに叫び、 部屋を破壊するかの如くに暴れまくったが、やはりKは俺に気がつかない。 身体が失われているのに、このような表現を使うのは妥当ではないかもしれないが、 俺は全身から一気に力が抜けていくのを感じた。 どうしよう。折角の体験なのに、このままでは伝えることが出来そうにない。 俺は考えた。一体どうすればこの感動をKに伝えることが出来るだろう。 そのうちKはベッドから立ち上がると、家の外へと出かけていった。 どうやらコンビニへと向かっているらしい。 俺は絶望した。自分の無力感に絶望した。自分の存在を伝える。 これだけのことすら今の俺には出来ないのである。 俺は絶望した。軽くなったこの身体の感動も、何一つとして無駄なモノでしかなかった。 死んでしまってもいいことなど何一つ無かった。 何も伝えられないと言うことが、どれほどまでに辛いことであるか。 目の前に世界があるにもかかわらず、それに触れることの出来ないこの孤独。 改めて言う。死んでしまっても、何もいいことなど無かった。 どうしようもない気持ちになってしばらく。俺は一つの事柄に気がついた。 「俺の他にも死んだ奴はいるだろう、しかし何故俺は一人きりなんだ?」 再び頭の中を巡らせる。俺の姿は生きている人間に見ることは出来ないようだが、 死人同士ならお互いを感知できるのではないか……? 生まれ出た一つの疑問は、あっという間に俺の全身を駆けめぐり、 俺の心を突き動かしていく。一番死人の居そうな場所といえば何だ。 考える。そうだ、病院! 生と死の交錯する場所! 思い立った瞬間、俺は病院へ向けてこの身体を走らせていた。 この国では一分の間に一体何人の人間が死んでいるんだっけ。 そんな詳細は、まるで習った記憶がない。 たどり着いた病院は、街でも最も大きな病院だった。 人の出入りも激しい。俺は重病患者の居る病棟へと足を向ける。 いつ何時人が死ぬかは分からないが、確実に誰かが死んでいるだろうと思ったからだ。 もしかしたら俺の到着と同時に死んでしまった奴が居るかもしれない。 期待に胸がふくらむ。 だが、予想に反して病院内に俺と同じ死人は一人として存在しなかった。 死体はあったのに。死体の周りにも俺と同じモノは居ないのだ。 これはどういう事なんだ。俺は混乱した。何故だ。何故なんだ。 必死になって考える。もしかしてこの身体は、時間とともに消えていくのか? 俺は既に失われつつあるのか? ただ消えていくしかないのか? 急に怖くなった。嫌だ、消えたくない。しかしいくら叫んでも俺はそれは誰にも届くことはない。 胃袋など既に失われているだろうけれども、激しく吐き気を覚えた。 孤独のまま、ゆっくりと失われていく事実に目眩を覚えた。 このまま消えたくない。誰かと話をしたい。誰か俺に気がついてくれ。 気がついた時、俺は何処かの病室の中にいた。 そこには沢山の機械が身体に取り付けられた青年が眠っていた。 全身に包帯が巻かれているその様は、まさに満身創痍という言葉が当てはまる光景だった。 ピッピッと音を立てているのは、生命維持装置という奴だろうか。 ドラマとかで見たことのある光景そのものだった。 部屋の外で声が聞こえてくる。 「残念ですが……」 ああっ、と、母親か何かだろうか。女の泣く声が響く。 「最善は尽くしたのですが……」 どうやらこの青年、余命幾ばくもない状況にあるらしい。 ただ一つ確実な事実は、「彼は近いうちに死ぬ」ということだけ。 それはつまり、俺と同じ身体になるということだ。 俺は俺以外の同じ身体の住人に遭遇していないが、もしかしたら。 死んだ瞬間ならば、俺は彼を認識できるのだろうか。 彼もまた、俺という存在を認識してくれるだろうか。 ならば早く死んでくれ。 時間とともにこの身体は失われていく可能性がある。 俺は願った。死ね! 死ね! 早く死んでくれ! Kにいくら触れても、この身体はすり抜けてしまった。 だから俺が彼に触れたとしても、きっとすり抜けてしまうだろう。 けれども、俺は両手を伸ばした。 見ず知らずの彼の首に。 手のひらに感触があったかどうかは分からない。 けれども、俺は、この両手に、もてる限りの力を込めた。 そのとき、青年は、さっきまで眠っていたはずの青年は、 俺のことをじっと見つめて言った。 「やめろよ」 それはまごう事なき、俺自身の声だった。 次の瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、涙でぐちゃぐちゃになった母親の顔だった。 「よかった! 起きてくれて良かった!」 母親が叫ぶ。その隣にはKもまた目に涙をためて、俺を見ていた。 俺は死んでいなかったのか。助からなかった訳じゃないのか。 僅かに首を動かすだけで、全身に激痛が走ったが、この痛みすら嬉しく感じた。 人と触れあえるという事実に涙が浮かんだ。 4ヶ月後。 あれほど酷かった傷も何とか癒え、退院の運びとなった。 けれども、俺の首にはしっかりと、何者かに絞められたであろう跡が残っている。 医師も両親も友人も、皆が物凄く驚いていたけれど、俺は驚かなかった。 これは、一時の気の迷いであっても誰かに対して殺意を実行した罰なのだから。 一時的であったけれど、死んでいたあの時間のことは、誰にも話していない。 自分で自分の首を絞めたなんて、格好が悪くて癒えたモノじゃないから。
by unnyo8739
| 2007-10-01 18:00
| 僕俺私小話
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