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図々しく、厚かましく、欲求を求め、常に行軍する人間は、間違いなく成功への一歩を踏み出している。 その一歩から、いかな結論が導き出されるかは、果たして私の知るところではないが、それらの間逆にある人間は、成功への一歩を踏み出す前に、己への第一歩を踏み出さなければならない。 その一歩が、やはりどのような結果となるかも、私の知るところではないが。 「求めよ、されば与えられん」 そんな言葉がある。 なるほど、先にも述べたように、成功をしたければ、まず己が望み歩かなければ、それは成らないだろう。 しかし世は常に公平であるとは限らない。 求めなくても与えられる人間もいれば、いくら求めてもたどり着かない人間もいるのだ。 世の人は言う、「努力が足りないからだ」 否。 努力など、成功へのファクターとしては、僅かな部分でしかない。 人の前に在る道とは、常に人それぞれにゴールまでの長さが違う事は当然、その道が困難か、楽かすらもまったくそれぞれに違うのである。 いくら努力して、苦労しても、まったくたどり着けない人間もいれば、何の労力もなくたどり着く人間も、間違いなく存在するのである。 別に私は運命論を語るわけではない。 これらが事実であるから述べただけに過ぎないのである。 世は常に不公平、不平等であるからこそ均衡が保たれている。 まあ、そんなことは正直な話、どうでもいいことだ。 世を考えるくらいなら、行動しておくことが何よりであって、見えない道に泣き言を言うよりも、とっとと前に進む方が、よほど建設的である。 それらに一体どのような心境、心情を見出したかは、やはり私は知ったことではない。 むしろ私自身が一体この先どうなるかも知らないというのに、人の事などどうとして言えるものではない。 人は一人ひとり哲学を持ち、信念を持ち、唯一の道など存在し得ないのだ。 何より、二度も言うが、こんなことはどうでもいい。 では、私が何を言いたいかというと。 私は先の文章を作るうえで、一つの試みを施した。 それは、いちいち文章にリズム、抑揚をつけ、演説調に仕上げ、いい加減なことを言っているのにうっかりにも人を騙せないかという試みである。 人は往々にして勢いに弱い。 そして小難しい事、つまり内容の意味が不明であっても、そのリズムが心地よければ、なんだか納得してしまうという事実がある。 ジョジョは呼吸のリズムで波紋を作り出した。 私たちは波紋を作り出すことは出来ないが、一定の言葉の、音のリズムによって、人を説得したり騙したりすることが出来るのである。 多分。 根拠を述べよう。 視覚は人間の感覚の中で、もっともウェイトを占める器官の一つである。 次いで触覚があるのだが、その前に、あるいは後に聴覚がある。 私はこの聴覚こそ人間の、もっとも深い感情部分をつくものであると思う。 理屈による感動などよりも、視覚、映像によるそれよりも、遥かにシンプルな衝動。 音は僅かであっても、人に喜びを、怒りを、恐怖を、悲しみを与えるのである。 私はちょっと前までバイオハザード4というゲームをプレイしていた。 もう4度目のクリアともなるのだが、その音の演出は、私を容易く緊張へと導かせる。 次に何が来るか分かっているのに、絵的に恐怖を感じているわけではないのに。 そう、私に恐怖を、緊張を与えているのは、紛れもなく音楽、つまり音なのである。 ならばこそ。 私はそれが文章においても適用されるのではないかと考えた。 文章にもリズムを儲けることで、恐怖や感動を作り出すことが出来るのではないかと。 というわけで、こんなものを作ってみたわけだが。 私じゃ無理だ/(^o^)\
by unnyo8739
| 2007-05-08 11:14
| 日誌叙情駄文
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Comments(2)
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