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「やっぱり来るんじゃなかった! 僕は帰る!」 「帰るって、お前何処に帰るつもりだよ。師匠のところか?」 ぐっと、声が詰まった。 「……絶対何があってもそれだけはありえない」 あの師匠の下だけは、何があっても戻りたくない。思い出してはいけない事だ。肩が震える。伴う感情は怒りか屈辱か、それとも恐怖か。 アルフレッドはそんな僕を見て薄く笑うと言った。 「お前、師匠をすごく嫌ってたもんなあ。いつか逃げるんじゃないかって思ってたけど、ほんとに逃げ出してくるとはな。あの日俺に匿ってくれって泣きついてきたときはびっくりしたぜ。今も鮮明に思い出せる……」 「アルフレッド!」 声が荒いだ。睨みつける視線には憎悪が混じっている。 「な、なんだよ」 「――僕は思い出したくない。二度と思い出したくない。次にその軽口を叩いてみろ、僕はお前とやりあう事にも躊躇しないぞ」 早口で捲くし立てた。アルフレッドは一瞬驚きの顔を見せ、その後僅かに不愉快そうな顔をしたが、僕の表情を見ると肩をすくめて言った。 「分かった、悪かったよ」 「お前にとっちゃ笑い話でも、僕にとっちゃ最悪の過去だ」 答える声は震えていた。いや、声だけでなく全身が震えていた。吐き気がする。血の気が失せて顔が妙に冷たい。そのくせ汗がだらだらと流れてくる。倒れてしまいそうだ。 ああ、くそう。 まったく思い出したくないというのに、記憶という奴は一度蓋を開けると、どんどんとあふれ出てくるのだから始末が悪い。心臓がばくばくとやかましい。気が遠くなりそうだ。 彼は僕のそんな様子を見て、「すまん、本当にすまん。ここまでとは思わなかった。もう言わない」と謝罪をした。 謝るくらいなら最初から言うな、と叫びたかったが、喉から空気が漏れるだけだった。 ――数分後。 僕が落ち着いたのを確認するとアルフレッドは再び話を始めた。 「で、単純に海竜を倒せばいいって話じゃあなくてな。ちょっと事情が複雑なんだよ」 「バグダドーの姉ちゃんが……、いや、妹か。が竜のところに居るんだろ」 まだ少し残る吐き気をこらえながら話に割り込む。 「ちょっと、そういえば何でお前そんなに詳しいんだ?」 驚いた顔をして、そして今頃になってその疑問をぶつけてきた。 僕は悪夢のような今日一日の出来事を話してやった。アルフレッドは「ほう」とか「ふん」とか、適当な相槌を打ちながら聞いていたが、僕が双子の妹の方――セイラといったか――がいかに恐ろしい奴であったかを語った辺りで爆笑を始めた。 「ぶはははは、すげえなその子。そんな子がいるならあの家も安泰だな!」 笑いながら膝を叩いていた。そんなにおかしい事か。 「冗談じゃない。背骨に氷柱を突き刺されたようだった。ろくな子じゃないよ」 笑い転げるアルフレッドに冷たい視線を送る。 「いいじゃないか、結局目的が一致したんだぜ。明日の昼に迎えが来るんだろう? それまでゆっくり休もうじゃねえか」 「僕は納得してないし、了承もしてないぞ」 「じゃあ師匠に次いでセイラって子からも逃げ回る生活を送るか?」 「……」 アルフレッドが笑いながら言った。僕は何も言い返すことが出来なかった。 「とりあえず話もひと段落した事だし、今日はもう寝ようぜ。明日に備えないとな」 馬鹿のように明るいアルフレッドのハスキーボイスが、不愉快で不愉快でたまらなかった。 せめて一発ぐらい殴ってやろうと思ったけれど、身体はまだろくに動かなかった。何より悔しい事に、僕の身長では奴の顔面に手が届かないのである。二つしか歳が変わらないというのに、軽く二十センチは奴の方が大きい。 屈辱だ。屈辱極まりない。 やっぱり僕はこいつの事が大嫌いだ。
by unnyo8739
| 2006-12-01 16:49
| 僕俺私小話
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