|
っていうか、最近自分に勢いがなくなってきたなあと思うようになってきた。 もう少し前の私は、前方から駆けて来る車の前に立ちはだかって、 「ここは私が通ってるのに何お前車で走ってきてるわけ?」とかいいながら ひき殺されてそうなくらいに勢いがあったような気がするのだけれど、 ここ最近だと「あ、車だ。ここは車道なんだね。どう見ても歩道だけれど、 車が走ってるから車道なんだね」とか、すごい勢いで譲歩しちゃう。 正直これはよくないんじゃないかな後か思うわけで。 人間の活動において、勢いとかテンションって言うのはすごく必要なことだと思う。 例えば、女の人をくどく瞬間とかもそうであるし、高い買い物をするときもそうだし、 私なんかで言えば、小話を書こうと思い立つときもそうであるし、 走ってくる急行電車に飛び込もうとするときもそうだったりする。 テンション高めて勢いをつければ、大体どんなことも出来るわけである。 清水の舞台から飛び降りるなんて言葉もあるくらいだから間違いない。 と、とりあえずここまで勢いに任せて書いてみたが、 あまり上品な文章じゃあないなあと思った。 私は文を書く上で、数行空けてみたりだとか、文字を大きくしてみたり、 あるいは色を変えてみたり、という手法を使わない。 何故ならそれは、至極簡単単純にそれらしい勢いをつけることが出来るため、 妙に安っぽく感じてしまうからだ。 これは勿論私故人の考え思考であり、他社を否定するものではないけれど、 自分の考えを述べるということは、つまり何かを否定することと同意である可能性が ないとはまるで言い切れない。だとすると書かないことが一番だろうが、 それはそれなので書くことにする。 というわけで。 やはり文章を書くのであれば、やはりその内容で勝負をしたいではないか。 下手な小細工を使わず、体験や考えを己の文章能力のみで表現し、 勝負していきたいではないか。 人間の表現能力、いや、私の表現能力は非常にたいした事がない。 そんな中で一体どの程度この理屈理論を保っていられるのかは分からない。 少なくともこのブログを始めた当初の私は、そういう勢いを保っていたと思う。 でも、本当に面白い文章っていうのは、悔しいけれど本当に面白いのだ。 本当に、本当に面白い文章というのは。 なんていうか理屈とか感情とか感覚とか、そんな「言葉」で文章を築いているのではない。 書き手の並々ならぬセンスが、面白いものを作ろうとしているのではなく、 その手によって書かれたものが、面白くなってしまうのである。 面白いのが天才ではない、面白くなってしまうのが天才。 某鬼才の言葉を借りれば、おそらくこのような法則が成り立つのだろう。 そしてそれは恐ろしいほどに事実だ。 彼の人らに比べて、私の文章の何と稚拙なことか。 彼らの持って生まれたセンスには、超えられないような高い壁を感じる。 劣等感で死にたくなってくる。 東京タワーからダイブしたくなるほど、申し訳ない気分になってくる。 真の才能ある人というのは、持って生まれたセンスがすばらしいのではなく、 それを磨く術に優れていたのではないか、とも考えられる。 センスを磨く、という言葉は存在するのである。 天才に嫉妬するよりも、勢いを持ってそちらの努力をすることが望ましいと考える。
by unnyo8739
| 2006-11-07 22:43
| 日誌叙情駄文
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||