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どうも日本は梅雨入りをしたらしい。 今日も朝から雨が降っていた。 知らぬ間に季節は変わっていく。 昔ほどその移り変わりを体感することが出来ない。 かわりに日に日に自分の年齢を感じるようになった。 これが歳をとるという事なのだろうか。 傘を持つ手も重く感じている。 私は雨が嫌いである。 なんといっても、あの湿度が嫌だ。 今朝の電車の中などは、本当に息が詰まる思いであった。 いつかこの湿気で死人が出ると思う。 JR他鉄道会社は、この問題に対して真剣に対応すべきである。 例えば、除雪車ならぬ、除湿車とか。 馬鹿な事を言ってしまったが、どう足掻いてもあれだけの人間が 利用する電車を快適にしようとするのは難しいだろう。 耐えられなければ、自分が身を引くしかないのだ。 私は気温、湿度の急な変化に大変弱く、 先日の30度から20度まで気温が落ちた日などは お約束事のように風邪をひいた。 頭痛と吐き気で死にかける思いであった。 大変虚弱体質になったのは、自分が歳をとったからであろうか。 学生の頃はもっと頑丈な身体だったはずだ。 ちょっぴり仮病は使ったけど、ほとんど病気はしなかったと思う。 さらに、私は腰を病んでいたことがある。 俗に言う椎間板ヘルニアである。 高校生の頃激しい腰痛を訴え、病院ででかい注射を打ったりしていた。 完治はなかなかしないようで、雨が降ると痛むこともまれにある。 そんなことを友人に訴えてみれば、その友人にも同じ腰痛持ちだそうで 彼の場合は冬季限定らしいが、とかくひどい痛むとの事。 腰はダメだ、腰が痛いと運動なんてとんでもない、 日常生活すら厳しいのだ。 一度洗濯物を出そうとして、再び腰痛に襲われてしまったときなど その日一日の予定は全てキャンセル、トイレに行くのも死ぬ思いであった。 しかし、昔の人は「雨もまたおかし」などと言っている。 勝手なこと言いやがって! どっちが勝手なのかまったく小一時間ほど問い詰めたいが 肉体的に痛みがある分、感情は高まるばかりである。 半狂乱になって殺意を振りまきながら、奇声を出しそうな思いに駆られるが 確かに雨もまた、風情の一環、風流である。 ただしそれは、外に出る必要がなく、実に快適な環境で ただまるで詩の一説のように眺めればこそだろう。 風邪で学校を休んだとき、自室より雨に濡れながら登校する 学友らを見てほくそえむときなどは、雨もまたおかし、である。 実際は湿度と体調不良で大変短気になる私の現実。 風情を楽しめない肉体の弱さ、心の貧しさにちょっぴり落ち込みそうになる。 しかし雨がなければ生物は皆困る。 私の里の愛媛も一度、例年にない雨不足にてダムが枯れそうになり 水不足に陥って、ニュースに流れたのも懐かしい。 私がギャーギャー喚いても、感傷に浸っても、何も変わらずに雨は降り続くのだ。 雨といえば。 私が高校のとき、遠足なるものがあった。 遠足という表現は、高校生にとって妥当ではないかもしれないが 遠足は遠足である。 なんと表現されようと、やってることは遠足そのものなのだから。 その遠足当日、ある友人は体調不良にて遅刻してくることとなった。 私たちが歩いていく中、現地にて車で移動し合流すると一報があり 「車かよ、ご大層なこった」 などと軽く嫉妬を覚えた。 しかし、その日は早朝より雨が降っており、はたして遠足は実施されるのか怪しい。 見ればかなりの大雨となってきている。 傘をさしての遠足など聞いたことはない。 結局先生方が相談の上、遠足は中止。 体育館でのレクリエーションとなったのである。 まあ至極当然のことだろう、だがここまではいい。 当時は携帯電話など普及していない。 前出の遅れて参加する友人には、その情報が伝わっておらず 遠足目的地にて、一人寂しく呆然と待っていた事実が明らかになった。 雨降る目的地にて、風邪に苦しみながら皆を待つ少年。 立ちすくむ彼は、降り続く雨に、何を思ったのであろうか。 これもまた雨の語る1つの風流ではなかろう。 決して私はその少年ではない。
by unnyo8739
| 2004-06-07 16:34
| 日誌叙情駄文
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Comments(2)
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