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嵐の中を一人歩いていた。 歩いているというよりも這っているというべきか。 風は恐ろしく強い。呆れるほどに強く冷たく、そして存在し得ない時期に存在している。 まるで悪い冗談だ。笑えない上、悪趣味でくだらい、どうしようもない冗談のようだ。 道中何度も飛ばされそうになった。地を擦る様にして足を進める。僅か数穂先の視界すら掴めない。果たして自分が正しい道へと向かっているのか、それすらも掴めない。 風が強さを増すその都度必死に足を踏ん張り、両手でマントを押さえる。 そしてそれが去った後は、体力も気力も、そして視覚も聴覚すらも奪われた。 身体のそこから気力と体力をひねり出し、一歩、また一歩と足を擦りだす。 「う、うわあ」 瞬間、突風が走った。被っていたフードを吹き飛ばしす。瞬間髪を大男に掴まれ、引き回されているような痛みが走った。 同時に砂のつぶてが顔を打ち付けてくる。思わず顔を抑える。 眼鏡によって砂つぶてが目玉に直撃する事は免れたが、あっという間に砂埃に曇ってしまってた。 けれども僕はほっとした。それだけですんで良かったと思った。割れてしまったら最悪だからだ。 しかしそれも束の間。風は容赦がない。マントから手を離すのを待っていたかのように強風が走り、ぶわりとマントを巻き上げ、彼方へと奪い去ろうとする。マントがまるで凧の様に風を浮けて広がり、 「ふぐっ」 首にかけた止め具で止まった。それは深く食い込み、一瞬お花畑が見えた。 冗談ではない。身体が持っていかれてしまう。いや、命が持っていかれてしまう。倒れる様にその場に跪き、なびくマントを必死で抱きよせる。こんな所で倒れてやるほど自分の命は安くない。 「……くそ、一体どういう風が吹けばこんな風になるんだ? マントで首吊りなんて洒落にもならないぜ……」 ひとしきりむせた後愚痴を吐く。けれどもそれはあっという間に風にかき消されていった。 ようやく体勢を立て直し、再び一歩すり歩く。風はいつまでも止みそうにない。 辟易する。何という強い風なんだろう。これまで十六年程人生を生きてきて、そうそう嵐にあった事はないが、ここまで酷い嵐にあったのは初めてだ。それとも僕が今まであってきた嵐は、嵐とは名ばかりのただの雨風に過ぎなかったのだろうか。 幸いにしてまだ雨は降り出してきていないが、この風に加えてそれが振り出してくれば、一体僕はどうなってしまうのだろう。 僕は慌ててその考えを打ち消した。悪い方向へ考えると、現実も悪い方向へ向かってしまうものなのだ。つまらない事を考えてしまった。マントを掴む両手に力が篭る。 なめした皮で作られたマントは、分厚く重く出来ており、防寒、防水機能のついたなかなかの一品である。ごわごわして着心地はいまいちだが、風に流されぬよう、裾には鉛まで縫い付けられている。 作った奴が一体どんな奴だか知らないが、恐ろしいまでの徹底振りだ。ちょっとやりすぎではないかと呆れたが、この徹底ぶりが僕の命を繋いでいるといっても過言ではない。並みの風雨であれば、完全に近い防寒防水能力を発揮するのではないだろうか。 どうせ買うならと高価な代物を選んだ自分を褒め称えたい。恐らく現在抱えている持ち物の中で最も高価な物であり、――最も元々大したものを持っていないと言う話もあるが――財布にも激しいダメージを負ってしまったが、最良の選択をしたといえるだろう。今日から家宝として扱ってやろうか。 安物のマントを買わなくて本当に良かったと思う。薄手のマントでは、ちっとも防寒の役目を果たせなかっただろうし、あるいはあっという間に吹き飛ばされ、失われていただろうから。 といっても。風は軽々とそれを吹き流し、マントごしにその冷気を浴びせかけていくのだが。 ため息をつく。本当に高いマントを買っておいてよかった。安い物を買っていたとしたら、その先にあるのは……。 ぶるりと小さく震え、フードを深く被りなおして空を見上げる。 まだ太陽は高い位置にある時刻だというのに、辺りは闇に覆われていた。夜だってここまで暗く染まらない。 「一体どういう嵐なんだよ、これ」 闇の中から容赦なく風が身体を打ち付けていく。視界が更に狭まる。数歩進むのにも、途方もない時間と体力気力が必要だ。 どこかで休めるところでもないだろうか。辺りを見回してみる。 瞬間、刹那に光が白く世界を染めた。 一瞬のそれが過ぎ、世界は再び闇へと染まる。遠くで轟音が響いた。 歯を食いしばる。最悪の予感が胸をよぎる。空を仰ぎ見ながら言葉を漏らす。 「畜生、頼むから降ってくるなよ……」 しかし願い虚しく、しばらくすると風の中に雨粒が混じり始めた。 それはまるで凶器だった。凄まじい風に乗せられた雨粒は、まるで石つぶてのように身体へ打ち付けてくる。非常に痛い。雨が痛いものであるとは、なかなか経験できないだろう。 あっという間にマントは濡れて重くなり、更に歩みを阻害する。けれども風に煽られて飛ばされる心配はなくなった。いいのか悪いのか。人生は常に表裏一体、何がどういう結果をもたらすか分からない。 確実に言える事は、この高価なマントがここでも僕の命を守ってくれたという事実だけだ。これは今後僕の家宝としてやろう。 時折走る雷鳴は、彼の不安を加速させた。 「やばいなあ……」 このままでは、ほぼ確実に行き倒れてしまう。無駄に想像力を働く。したくもないのに。 脳裏に嫌なものが見えた。思わず震えが走る。 「畜生、冗談じゃねえぞ!」 叫びは風に打ち消される。 ――くそ、くそう! やっぱり止めておくんだった! 怒りが湧き出てきた。 自分は一体こんな所で何をしているんだ。何でこんな酷い目にあってるんだ。いいや、酷い目なんてレベルじゃあない。もしかしたら死んでしまうかもしれない……! 奥歯がぎりぎりと音をたてる。 これも全部あいつのせいだ。あいつがあんな手紙をよこすもんだから……。 再び一歩足を踏み出す。 そうだ。あいつの話はいつもろくな事じゃあない。嫌な予感はしてたんだ。 むしろあいつの話は、いつだって悪い予感しか抱けない。畜生。あんな手紙なんて、知らない振りしておけばよかった。畜生!! 八つ当たりをするように更に一歩、足を突き出した。 湧き出る怒りが命の根源だった。 ああ、もう。やっぱりあの女将が言ったとおり、止めておけばよかった。 同じ事ばかり考える。だが今更悔やんだところでどうにもならない。 ため息をいくらこぼしても、風があっという間に持ち去っていくからだ。
by unnyo8739
| 2006-04-18 18:37
| 僕俺私小話
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