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とある小説を読んでいたのだけれども、途中でそれを閉じた。 いじめの出てくるお話だったのだ。 私はその手の話が苦手である。 激しく憤りに駆られてしまうのだ。 陰湿なその暴力を目にしたとき、恐ろしいほどの嫌悪感が身体を走り抜け、 思わず本を投げ捨ててしまいそうな衝動に駆られてしまうこともある。 それだけ本に感情移入してしまい、書き手からすれば「狙い通り」と言った所だろう。 読みたくないと思いつつも、さらに頁を進めてしまい、結局すべて読み通してしまう。 それは作り話であったけれども、世はまるで市民権を得ているかのように、 堂々と陰惨な話葉存在し、かつ尽きる事はない。 弱い者を暴力で虐待し、人としてあってはならぬ恍惚に哂う者がいる。 そんな事が許されてなるものではないだろうに。 故に私は仮にお話の中であったとしても、そのような人間を生み出したくはないと考える。 が。 話を作るうえで、悪者の存在は必要不可欠なのだ。 話を盛り上げる上で、悪役というものはどうしても必要となってくる。 しかし私はそれを作り出すことを躊躇う。 どうせお話であったとしても、せめてそこだけでも平和であって欲しい。 だが、それでは話として盛り上がりに欠けてしまうのだ。 何このジレンマ。 私は時代劇が大好きだ。 権力、暴力で人を陥れる輩が、それに敵対する、いわゆる正義の側の者に なぎ倒されていく様に爽快感を覚える。 至極単純、明朗にして痛快。 お子様からお年寄りまで幅広くわかりやすい物語。 松平健サイコー。 それはそれとして。 悪者を作り出せない私。目を覆いたくなるような非道な手段を用いて、 話を盛り上げてくれる、そういうキャラクターの作り出せない私。 どうしたらそういうキャラクターを作り出すことができるのだろう。 元々自分という人間の中にも、そういう負の要素もあり、 そこからして、非道なモノも作り出すことができるのではないかと思ったが、 どうしても至る事ができない。 別にそんなキャラクターの出てこない話だけを作るのも、一つの手段だろう。 だけれども、私も時代劇のように、痛快な話を作り出してみたいという思いがある。 今、勧善懲悪なお話よりも、悪者にも悪者の都合があり、 その中で葛藤するという話が多い気がする。 私もそれに乗じようとすれば、その方がきっと楽に違いない。 しかし、話を作る側としては、そういう類の人間も 作り出せればなあと思ってやまないのである。
by unnyo8739
| 2006-04-01 16:06
| 日誌叙情駄文
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Comments(1)
Commented
by
plasebo55 at 2006-04-01 23:35
私も勧善懲悪とっても好きです。水戸黄門最高!
でも自分が作り上げた話しの中だけでも幸せで平穏であれというのは、すごく、同感で。自分が苦しくならず、みんなが幸せを感じられる小説を書くスタイルが、きっとどこかにあると思います。手に入れるまでは苦労するだろうけれど。 検査もいろいろお疲れ様でした。
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