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ふと、もしかしたら最近娘とのふれあいが不足しているのではないかと思いついた。 思った、ではなく、思いついた。 実際はどうなのかわからないけど、きっとそうに違いないと結論することにした。 なぜか。 最近色々行き詰まっていることもあり、自室で悶絶したり、自分の事にばかりかまけているような、そんな自覚がある。 自分の作業からの現実逃避がしたいだけなのかもしれないが、もうそう思った以上そうに違いない。 なのでもっと娘と遊ぶことを頑張ろうと決意する。 しかし。 子どもとの心からのふれあいってどうすればいいんだろうと疑問。 ただ側にいるだけでもいいという年齢は過ぎたのではないか。 私の方からもっと娘に対して手を伸ばそうとする努力が必要なのではないか。 そのように感じた。 子供の行動はただ偏に「愛されたい」と言う一言に集約できる。 だが、それを許容しすぎるわけにもいかないのだ。 「愛されたい」が「愛されて当然」に変わってしまうと、それは悲劇の引き金を引く行為となる。 娘の自立を阻害する行為なのではないかとも危惧する。 ただの甘えた子になってしまうのではないかと考える。 ただ愛情が欲しいだけの、ただそれだけのことであってもだ。 人間、いつまでも子供でいるわけではないのである。 色々なことを教えたり、しつけとして行動を起こさねばならない。 バランスが大事なのだろうけれども、それはとても難しい。 しかしそれは、子供にとっては、今までの自分への対応が、唐突に変わることにほかならない。 「お父さんもお母さんも自分の事を嫌いになったのかな?」とか思っていたりするんだろうか。 故に、泣いたり叫んだり、暴れてみたりとするのだろう。 それはとても簡単に理解できる原理だ。 その行為が、親にとって物凄くストレスになるのだけれども。 子供への対応、という感じで検索すると、その内容はまわり回ってお母さんへの対応へと行き着く。 色々不安を抱えてぐるぐる廻るんだけれども、結局「子供はそんなもんなんです」と言われてしまう。 そして「自分はこんなに苦労してるのに、そんな対応なんて酷い」などと、更に気持ちがネガティブになっていく。 この負の流れは、一体どうして起こってしまうのか。 「そんなものなんです」を受け入れられない親にあるのか。 仮に「そんなものなんです」を受け入れたとしても、目前にある子供への対応に、耐えることが出来なくなるからなのか。 暴れたり泣いたり、いうことを聞かなかったり。 そりゃあストレスにもなる。 ではどのように付き合えばいいのか。 子供への対応は、子供用の対応ではダメなのではないかと思う。 最初から一人の人間として接するべきなのか。 わからなくなったので、まずは身近な人から。自分の親に聞いてみた。 「そういうもんだからほっとけ」と返ってきた。 一見つれない返答にも思えるのだがしかし。 それは、「親がいくら心配しても、対応しても、子供は簡単に変わらない。でも子供は日々成長する。だんだん自分で分かってくる。自分自身で成長していくものなのだ」 という言葉を、思いっきり省略したものなのではないかと気がつく。 親は確かに子供を育てる。 子供は親の援助のもとにあれど、自分で成長していく。 親が子供を成長させるのではない。 つまりはそういうことなのではないか。 子供を心配するのは、成長に不安を抱くのは、何より愛情が故だ。 だが、子供はその愛情を、求めこそするけれど、受け取り方はきちんと分かっていない。 故に苦労する。 愛情を向けることは悪いことではない。 どうすべきか。 その愛情の僅かを、子供自身の成長を信じることに向けてはどうか。 まあ他にももっと色いろ考えることはあるのだけれども、私の文章まとめ能力ではこの程度が限度だ。 私の文章って「しかし」とか「だが」「でも」が多くて読みづらいし。 所詮は駄文か。 兎に角。 色々と考えることはあるが、深く考えすぎず、溜めすぎず。 「そういうもの」を受け入れていくことが良いのではないかと思いました。
by unnyo8739
| 2013-02-28 11:01
| 娘観察日記。
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