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創作の難しさを今に知ったわけじゃあないんだけれども、改めてそれに向かうことになると、やはりその難しさに逃避したくなる。 なので都度創作する人は凄いなと思い、感心するんだけれども、私がするべきはそれではない。 そんなことには目もくれず、ただ一心に自らのやるべきを努めるしかないのだ。 でもやっぱり無理ー。 何でこんなことをしようと思ったんだろう。 どうしてこうなるのがわかって引き受けたんだろう。 ああ、もう頭が痛い。 私がもう少し若かった頃。 まだ妄想やら何やらで、自分はもうちょっといけるんじゃないかとか慢心していた頃。 この日記をつけはじめたのも、それら創作に向けての一ステップ、文章の練習というものが根底にあったことを否定しない。 例えしようもないような日記であっても、文字を打ち続けることで多少は何かしらの効果が得られるのではないかと思った。 しかし。 現実はそう甘くはない。 例えば腹筋運動を毎日続けても、身につくのはその周辺の筋肉だ。 腕や足といった部位は、それに応じた運動をしなければ身につくことはない。 つまり。 創作をしようと志したのならば、その練習は常に創作を持って行わなければならないのである。 日記をいくら続けても、上達と言う言葉が妥当かどうかはおいておいて、上達するのは日記を書く能力だけである。 もう何回もこの言葉を書き連ねた気がするけれど、改めてそれを痛感する。 ああ、どうしてこうなった。 私が今出来ることは、「起こったことをそれらしく書く」ことだけだ。 「自分の中の妄想」を書き出すことは出来ないのだ。 いや、これは少し語弊がある。 正確には、「私の中に妄想はない」のである。 書こうとする話が、書きたいと思う話が、私の頭の内にはないのだ。 この時点でもう私が創作に向いていないことは明白。 「やっぱりやめた」 と、開き直って諦めたい。 しかし。 それは私の性格が、どうでもいいことばかりに精神の全てを費やそうとするこの無駄極まりない思考が、私に「やれ」と囁くのだ。 「やって爆発してこい」と呟くのだ。 死にたくない、しかし死ねば助かる。 そんなどこぞの白髪中学生的言葉が私の中で反芻されているのである。 「やればなんとかなる。貴様はその無駄なプライドのようなもののせいで、実に無駄極まりなく最上最良の物を求めようとする。しかしそんなもの、誰も求めていない。身の丈にあったものを選択しないから、だから貴様は苦しんでいる。もっと現状の自分を受け入れなさい」 わかっちゃいるけどやめられない。 と。 ここで気がついた。 こういう無駄極まりない話をそのまま、私の日記としてではなく、別の人間のそれとして書いてみれば、それはそれで面白いのではないかと。 実体験に基づく創作。 それが面白いかどうかはさておいて、完成をさせる上でもっとも手近な方法なのではないか。 そう気がついた私は早速着手してみた。 話を修飾するのは難しかったが、意外といけるかもしれない。 とりあえずこの路線で頑張ってみようと思う。
by unnyo8739
| 2013-02-26 10:49
| 日誌叙情駄文
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