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私はもともと、そんなに子供の相手とか得意な方じゃないはずだったんだけども。 やはり自分の子供となると全然違うのかね、時々だるかったり面倒になったりするけれど、基本的に彼女に対して、感情的に怒ったりとか、そういうことは全く出来ない。 だって可愛いじゃない。 だって可哀想じゃない。 この子には、いつだって笑顔でいて欲しいじゃない。 とは言っても、世の中そんなにうまくいかない。 都合よく展開するはずはない。 私が怒らなくても嫁が怒ったり、あるいは娘本人も怒るわけで。 怒りもすれば泣きもするわけで。 いい子で有って欲しいと願っても、当然のようにわがままを吐き散らしたり、不真面目…まあ不まじめっていう言葉にはちょっと違うものを感じるけれど、表現の一つとしてあえて。 お片づけをしなかったり、物を投げ散らしたりと、不真面目な行動をとったりするわけで。 私は怒れない。 それが良い事なのか、悪い事なのかはさておいて、本当に「怒る」と言う事が苦手だ。 子供の頃はもっと色々、例えば兄弟げんかなりなんなりで怒っていたりしたような気もするけれど…少なくとも成人して後の自分は、殆ど怒るという行為をしていないのではないかと思う。 大抵の場合、「仕方ない」っていう感情が先行してしまう。 さっさと諦めてしまう。 今の世の中において、「怒る」って言うことは非常に重要なファクターである。 原発事故然り、政治問題然り。 しかしどちらのテーマもここで私が怒りを顕にしたところで、現実は一切合切動くことはない。 怒りは行動に出して初めて語るに値するのだが。 行動を起こさない怒りは、ただの愚痴以外の何物でもない。 そして私は行動を起こすことができない。 いや、起こそうともしない、起こさない。 それは現実に、人間の怒りだけでどうなるわけではないとかどうとか。 色々と言い訳ばかりが思いつくあたりに、私の本質があると思う。 結局怒ることができないのだ。 今の世に対する怒りはおいておいて、怒れないというのは何とも私を悩ませる。 その悩みは娘に対する自分の姿勢である。 自分がきちんと怒れないことで、娘が間違った方向に進んでしまうのではないか。 そんな危惧を感じてしまってならない。 いや、正しく行うべきは、怒るというより叱るというべきか。 私は、出来る限りの「叱る」を実践しているつもりではある。 正しく振舞おうとするつもりもある。 しっかし。 自分を改めて振り返ると、その行動は「娘に嫌われたくない」という一念があり、それ故にどうしようもなく「正しくない」方向に自分が向いているように思えてならない。 「自分が正しくない」ことを認識することは、「正しい」ことをするにおいて必要な要素であると考える。 と言うよりも、「自分は正しい」と思い込むその傲慢を、私は理解できない。 「自分は正しくない」というのは、ただの「自分に自信がないだけ」という表現に近いとも取れるが、それは 「何もしない」人間に限ってだと言い切る。 「正しくないと感じた上で、正しいと思うことを模索し、実行する」 やるべきはこの一点だ。 うまくやれているかどうか。 それが全くわからないが故に、全く自信をつけることもできない。 傲慢のふりをして自分を奮い立たせるしかない。 ああ。 そんな私のことはどうでもいいんだけど。 娘が泣くのが辛い。 笑顔でいることが自然な子に育って欲しい。 きっと私が何かしなくても、そうなってくれると信じたい。 親ばかになれないのなら、親をやる必要はない。 親ばかだけの親なら、世の中には必要ない。 その間を進まないといけないのは、なんとも面倒くさい話だが。 そんなふうに考えている私が、何より一番面倒くさいんだろうな。
by unnyo8739
| 2012-05-02 10:30
| 日誌叙情駄文
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